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2013年7月15日

年配者は基本的に「専用機」志向

産経ニュースが「ファミコン 30周年 成長神話を支えた名機も過去の栄光… スマホに圧倒されて苦境の任天堂」というニュースを伝えている。ゲーム専用機がスマホやタブレットに押されて、販売不振に陥っているんだそうだ。

私は昔から、ファミコンを初めとするゲーム専用機にちっとも興味がなくて、ほとんど触ったこともない。我が家の 3人の娘たちも、子供の頃は結構夢中になってやっていたが、今ではもっぱら iPhone ばかり使っていて、ゲーム専用機の存在を忘れてしまっているようだ。

見たところ、ゲーム専用機は歴史的使命を果たし終えてしまったようで、これ以上伸びる余地はないんじゃなかろうか。いくらゲーム好きでも、スマホの他にわざわざもう一つ別のデバイスを持つなんて、考えられなくなっているのだろう。そりゃ、当たり前だ。スマホで十分ゲームができるみたいなんだから。

若い世代は、汎用機に対する抵抗がない。スマホ 1台で、通話、メール、インターネット、写真と動画の撮影と編集、録音、読書、マンガ、辞書、音楽、ゲームなどなど、何でもやってしまう。実際にできるんだから、そうなって当然だ。

ところが年配の人たちとなると、これができない。ガラケー、IC レコーダー、PC、デジカメ、ビデオ・カメラ、本、電子辞書、ウォークマンなどを、別々に持ちたがる。「それ、無駄遣いですよ。スマホを買えば、全部 1台で済ませられますから」 と言っても、どうもピンとこないようなのである。アナログ派がデジタル機器を使う場合は、哀しいほど専用機志向なのだ。

年配者は、PC でさえ「メールという付加機能のあるワープロ専用機」としてしか使っていない人が少なくない。ウェブサイトのブラウジングに関しては、検索ができないので、今イチ使いこなせない。

そしてスマホは、PC よりも抵抗がある。彼らにとっての PC はワープロ専用機なので、まだなんとかなるが、スマホにはそうしたイメージを持ちにくいので、ガラケーの方がずっといい。

「だって、スマホは難しいんだもの」と、彼らは言う。私はこれまで「難しくなんかないですよ。車の運転の方がずっと難しいです。車の運転は失敗すると死にますが、スマホでは死にません」と言ってきた。(近頃中国で、どんなひどいケーブルを使っていたものか、iPhone 5 の充電中に死んだ女性がいるらしいが、それは例外中の例外だ)

しかし、私は近頃気付いたのである。年配者にとっては、失敗すれば死ぬこともある車の運転の方が、スマホをいじるよりずっと抵抗がないのだ。それは、車は基本的に 「動いて、曲がって、止まる」だけの「専用機」だからである。わかりやすいのだ。スマホは車と比較すると、イメージにとりとめがなさすぎる。

将来的には、車は情報端末と融合する流れにあるのだろうが、今 65歳以上の年配者のほとんどは、多分死ぬまでそんな 「スマート・ビークル」 には手を出さないだろう。もし買ったとしても、操作なんてできないと思う。同様に、彼らは Windows 8 も使いこなせないのである。

もし年配者が過去にゲームにはまる時期をもっていたとしたら、ゲーム専用機はシニア向けとして生き残る余地があるだろうが、哀しいかな、彼らの多くはゲームにはまったことがないので、ゲーム専用機にも縁がない。

 

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