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2013年7月27日

「基本的人権」という怪しいコンセプト

何の番組だったか忘れたが、多分選挙がらみで、若者の政治意識を論じる特集だったと思う。街頭インタビューで、若者が「前は政治に関心がなかったけど、勉強しているうちに、人には基本的人権というものがあるのだと知り、それを大切にしなければと思って、投票するようになった」と話しているのを聞いて、ちょっと複雑な気分になった。

「人には基本的人権がある」と、何の疑いももたずに単純に言えるというのは、ある意味とても幸せなことである。本当のところは、「基本的人権」というのは「ある」のではなく、とても政治的に作られたものなのではなかろうか。

そもそも「基本的人権」とは、甚だ怪しい言葉である。「人権」というものさえ、実は元々与えられたものというよりは、人間が長い歴史の間に確立してきたものだ。それに「基本的」なんていう修飾語を付けると、それだけでなんだか、曖昧なものになってしまう。

「基本的」といいながら、時代、国、人によって、あったりなかったり、解釈が違ったりするというのも困ったものである。そんなものが「基本的」といえるだろうか。むしろ「恣意的」という方が実体に沿っているんじゃあるまいか。

私は長年、「基本的人権」というものには疑問を抱いていてきたから、そんなものはことさらに主張したいとは思わないのである。主張するだけ気恥ずかしい。私が主張したいのは、ひたすら「自由」である。青臭いと言われようが、それは変らない。

「基本的人権」の上にあぐらをかいているより、「自由」という海原に漕ぎ出たいと思うのである。

 

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コメント

自民党の政治家(片山さつきかな?)が天賦人権説を否定する立場を表明して批判を浴びていましたが、実際のところ、人権は「ある」とか「天に与えられた」ものではなくて、これまでの歴史のなかで闘い取られてきた一つのフィクションですよね。私はそのフィクションは有用であると思って支持していますが……。

投稿: 山辺響 | 2013年7月29日 09:02

山辺響 さん:

>私はそのフィクションは有用であると思って支持していますが……。

もちろん、私も支持します。

ただ、大いばりで、さも元々あるように主張するのが気恥ずかしいのです。

投稿: tak | 2013年7月29日 19:58

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