参議院の存在意義
参議院選挙が始まった。この参議院というモノの存在について、「本当に必要なのか?」という疑問はかなり前から出てきている。模範解答としては、「首相の解散権が及ばないので、長期的展望で国政を大所高所から考え、衆議院が暴走したとしても一定のブレーキ役を果せる」など、「良識の府」的な存在意義が説かれてきた。
だが実際問題として、参議院が国政を大所高所から考えているなんて実感できた例しがないし、ましてや「参議院が存在していてよかった、これで国が救われた」と思ったことなんて、生まれてから一度もない。
どうせ衆議院の後にくっついていくだけにしか見えないのである。逆に現在のように「ねじれ現象」になってしまうと、必要な法案さえなかなか通らず、「何も決められない国会」になってしまう。どちらにしても、まるで意義が感じられない。
こんなものに国民の税金を投入して温存しておくなんていうのは、まったく馬鹿馬鹿しいことに見える。いっそ廃止して一院制にしてしまう方が、ずっと話が早いではないか。
とまあ、こんな風に話の結論を出してしまうのは誠に簡単だ。しかし簡単に結論の出る話ほど、「ちょっと待てよ」と立ち止まって考えてみなければならない。この問題、結論は簡単だが、その結論を実現するまでの手続きはやたらと大変だ。
なにしろ、改憲が必要になる。憲法では第 42条で 「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」とある。まずこの条項を変えなければならないし、それに関連するすべての条項も変えなければならない。その面倒くささは、96条改正なんてもんじゃない。参議院を廃止するためには、ものすごい準備と審議と採決が必要になるのだ。
私からみれば、そんなことより憲法 9条の方を変えてもらいたいという気がするが、9条を変えるためには、参議院を廃止して一院制にする方が、話が早いだろう。96条改正が 9条改正のための一里塚なら、一院制への移行はいわば十里塚だ。一院制になってしまえば、どんな大きな法案でもすいすい通るだろう。
ということは、憲法改正論者の私ですら、大きな問題となると、やはり二院制で慎重に審議する方がいいかもしれないと思ってしまう。なにせ、自分で言うのもなんだが、リベラル保守なもので。
というわけで世の中には、いくら馬鹿馬鹿しくても、後生大事にお守りしていかなければならないものがたくさんあるということのようなのである。
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