「話せばわかる」 の幻想
さっき、リモート・キーロックの不具合で修理に出していた車を引き取りに行く途中、代車のラジオで FM の音楽番組を聞いていたら、槇原敬之という歌手の「もう恋なんてしない」という曲のリクエストがあった。
この曲をリクエストした人のメールには、「この歌詞は、一体何回否定形を繰り返してるんでしょうね」とコメントされているという。「へえ、そんなにややこしい歌詞なのか」と思っていたら、流れてきたのは、前にも聞いたことのある曲だった。
歌詞の問題の箇所は、これである。
もう恋なんてしないなんて 言わないよ 絶対
否定形は 2度出てくるが、最初の「もう恋なんてしない」は初出であって「繰り返し」ではないから、「言わないよ」で、たった 1度だけ否定を繰り返しているだけである。噛み砕いて言えば、「もう恋はしないとは言わない」になり、単純な二重否定に近い。
ところが、曲が終わってから番組のパーソナリティをつとめる女子アナ(?)は、「確かに、否定形を繰り返してますねぇ。えぇと、『もう恋なんてしないなんて言わない』ですから、えぇと、3回ですね」と言うので、たまげた。本当にたまげた。どこから「3回」なんて出てくるんだ。
これはもう、「なんて」という単語に惑わされているとしか思われない。しかし「なんて」は、ニュアンスとしては否定につながりやすいとはいえ、「○○なんて××ない」 いうセットで否定形になるのであり、それだけが独立して否定形というわけでは決してない。重ねて言うが、この歌詞の否定の繰り返しはあくまでたったの 1回である。
いやはやそれにしても、フツーの人の言語感覚って、この程度のものなのである。言葉を商売の種としている番組パーソナリティにしてからが、こんなものなのだ。道理で、10人に同じ単純なことを話しても、まともに通じていない 3〜4人が必ず存在したりするわけである。
自分が受け入れられる以外のスタイルで語られると、内容をまともに捉えられない人って、結構いる。当たり前のことに「いいや、そうじゃない」と言うから、そいつの考えはどれほどユニークなのかと思って聞いてみると、全然違ってなかったりする。
「だから、初めからそう言ってるじゃん」と言いたくなってしまうが、彼は自分の中の素朴な文脈と別の言い方をされると、内容まで別物になって聞こえてしまうのである。
最近「伝え方が 9割」という本が売れているらしいが、それはストレートに言っても、相手はまともに判断してくれないことの裏返しである。もっと言えば、ストレートに言っても伝わらない人に対しては、ちょっとした言葉の「ごまかし」を交えると、結果オーライにもっていけることもあるということだ。
アカデミックな教育では、論点を単純明快に言うことを学ぶが、それよりも「脅したりすかしたり、おだて上げたり、ちょっとごまかしたりして、腑に落ちたつもりにさせる」ための技術の方が、ずっと役に立ったりする。
大切なのは、話の本質的内容より表面的な雰囲気なのである。「話せばわかる」は、幻想と思うしかない。
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