和歌や短歌を「一句」なんていわないでね
私はもう一つのサイト「和歌ログ」で、毎日歌を作っている。自分では「和歌」と称しているが、形式としては「短歌」と共通なので、そう呼んでもらってもいい。「和歌」と呼ばれようが「短歌」と呼ばれようが、自分では別にこだわらない。
「和歌」と呼ぶにしろ「短歌」と呼ぶにしろ、とにかく私が毎日三十一文字の歌を作っていると知ると、「それはすごいですね。じゃあ、ここで一句お願い」なんてなことを言う人がいる。私としてはそんなことを言われると、「誰が作るか!」と思う。そのあたりには、ちょっとこだわるのである。
和歌や短歌は、「一句、二句」 ではなく「一首、二首」と数える。これは日本の常識である。もっとも、和歌や短歌にも「句」という単位があるが、それは「上の句」(「かみのく」: 五・七・五・七・七の、五・七・五の部分)、「下の句」(「しものく」: 七・七の部分) というように用いる。
というわけで、いくらへぼ歌人に対してとはいえ、「一句お願い」 なんていうのは失礼というものなのである。ところが、この手の人は、必ず「一句お願い」と言う。これまで 「一首お願い」と言われたことは、残念ながら一度もない。日本には『百人一首』というものがあると知りながら、どうして「一句」なんて言えるのか、さっぱりわからない。
私は「一首」と「一句」の区別もつかない人のリクエストには応えないことにしているが、別にもったいぶっているわけじゃない。私の歌(「句」 じゃなくて 「歌」 ね)は見かけは「古典派」っぽいので、現代語しかわからない人の心には入りにくい。私の歌のレベルがもっと高ければ、そんなハンデは楽に乗り越えるのだろうが、なかなかそこまで至らない。
というわけで、どうせわかってもらえそうにない無駄なことはしないのである。向こうだって、単なる気まぐれ的「ノリ」で言ってるだけで、本当にわかろうなんていう気はない。そこで本当に歌なんて披露されたら、目が泳いでしまって、まともな受け答えすらできずに困惑するだけだから、そんな窮地に落とし込めないためということもある。
それにつけても、日本人が伝統的な言葉センスを失ってしまっているのは、悲しいことである。
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コメント
「一句お願い」と言われたら、上(五七五)だけ詠んで、催促したらどうでしょう。相手はきょとんとするでしょうから、「え、付けてくれるんじゃないんですか?」と。
投稿: 山辺響 | 2013年8月30日 10:04
山辺響 さん:
きょとんとされないで、そのまま俳句ということで納得される可能性の方が高いので、こわくてできません ^^;)
投稿: tak | 2013年8月30日 20:15