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2013年9月26日

辻井伸行氏の演奏を巡る冒険

特別支援学校で教職を執っているおられる方に、「視覚障害者の音感は素晴らしい」と聞いたことがある。車の音を聞くだけで誰が来たのかがわかるなんていうのは、当たり前ぐらいのもので、音楽的才能に優れた子供がとても多いというのである。なにしろ、複雑な音楽を一度聴いただけで憶えることのできる子が、いくらでもいるらしい。

盲目のピアニスト、辻井伸行氏の演奏を聞くと、私なんかものすごく感動してしまうのだが、その方は、「辻井さんぐらいの才能は、決して珍しいものじゃない」と言う。視覚障害者の中には、きとんと継続して、いいプログラムで、いい先生につけば、ものすごいピアニストになれるだろうと思われるような子が確実にいるというのである。

辻井氏のピアノを聞いて、ちょっと別の次元の感動をおぼえるのは、一つには「この人、楽譜でピアノ弾いてるんじゃない」と感じるからである。それは当然で、彼は楽譜というものを一度も見たことがないはずなのだ。だから彼は、楽譜という視覚的情報ではなく、ほとんど聴覚的情報のみでピアノを弾いているのだと思う。

もちろん、TBS ラジオのキャッチフレーズじゃないが、「聞けば見えてくる」ということがあるので、彼の頭の中では、聴覚的情報が何らかの別の形に翻訳されているのかもしれないが、それでも、いわゆる楽譜というものとは違うのだろうという気がするのである。

楽譜というのは、かなりデジタルな情報である。「ド」と「レ」はまったく別の位置にあり、ある意味「切り離されて」いる。しかし、彼の演奏では、「ド」と「レ」は切り離されておらず、ものすごく密接に関連している。「ド」と「レ」だけでなく、全ての音のつながりが、普通の演奏以上に密接なのだ。深い意味で「一つながり」なのである。

その結果、演奏された音楽がとても瑞々しく、指先で押せばプルンとはね返されそうな、ある種の「触感」をもったもののようにさえ感じられる。喩えて言えば、「あいうえお」の文字だけでは表現しきれない微妙な母音変化を、トラディショナルな口誦パフォーマンスが、とても豊かに表現できるというような感覚だ。

それはもちろん、盲目でなくても演奏者の解釈で表現されうるものなのだろうが、辻井氏の場合は、並はずれた豊富さで、しかも解釈に解釈を重ねた労苦の末というのではなく、ものすごくナチュラルに表現されているのである。

文字は情報伝達を飛躍的に発展させたが、そのせいで失われた要素もある。楽譜にもそれは言えるだろう。我々は時に五感のいくつかを意識的にスイッチ・オフことで、より本質に迫ることができることがあると思う。

 

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