オリンピックと地震と英語
東京オリンピック招致決定ということで、それに伴う負の要素について昨日書いたが、それ以外の感慨をちょっと書いてみようと思う。
東京で初めてのオリンピックが開かれたのは、1964年、昭和 39年のことだった。この年の 6月、新潟地震があり、私の住んでいた酒田の街も震度 5の揺れだった。当時は震度 5 には「強」も「弱 もなかったが、印象としては、間違いなく「震度 5 強」だった。
さらに当時の建物の耐震強度なんていうのは、どうしようもないもので、私の小学校はもう、ガタガタに揺さぶられた。私は小学校 6年生で死を覚悟した。「思えば短い一生だった」と、本気で思ったものである。
私の家は当時、高台にあったので、地震後に上水道が復旧するまでに 1ヶ月以上かかった。その間、私は水汲みに奔走したので、育ち盛りのはずだったのに、当時持たされていた「保健手帳」の、体重変化の折れ線グラフは、6月から 7月にかけてガクンと減っている。ストレスと水汲みとまともな食事ができなかったことによる体重減だったろう。
しかし、その年の 10月には地震のことなどまったく忘れてしまったかのように、東京オリンピックにわきかえっていた。当時、小学校の各教室にはどこでどう都合したものか、中古品ながらも白黒テレビが設置され、オリンピックの期間は授業そっちのけで、全員テレビの中継に夢中になっていた。
オリンピックに先だって、夏休み明け頃だったと思うが、学校に 「救援物資」 の品が届いた。地震から 2ヶ月以上も経っていて、「何を今さら」 というタイミングだったが、当時はそんなような呑気な時代だったのだ。
このことについては、9年前に "「地震」「英会話」「プラモデル」の三題噺" に詳しく書いてあるから、よろしければ読んで頂きたい。
まあ、早くいえば、この時の「救援物資」の中に、東京オリンピックを当て込んだ英会話練習用のソノシートがあって (どうしてこんなものが地震の「救援物資」になるのか、さっぱりわからないのだが)、それをゲットしたおかげで、私は中学校入学前に、自主的に英会話の勉強ができたということなのである。
今度の東京オリンピックは 7年も先のことで、今どきは 7年も経てば、世の中はずいぶん変わる。しかしいくら世の中が変わっても、日本の英語教育なんてそんなに変わるもんじゃないと、私は思っている。
せいぜい、何かの「救援物資」とかバザー商品の中にいい教材が紛れ込んでいて、それを偶然ゲットするみたいな幸運に恵まれないと、なかなかまともな英語を学ぶチャンスなんてないんじゃなかろうか。もう本当に「神の思し召し」である。
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