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2013年9月 2日

「よくわからんもの」 はおもしろい

ちょっと古典的過ぎる、あるいは前衛的な芸術とか、難解な科学理論とか、まあ、日常生活ではそんなものわからなくてもちっとも困らないというような分野のものを、「わからん!」という一言のもとに遠ざけたがる人とは、一緒に親しく酒を飲み交わそうという気になれない。

どうせ話題はどうでもいい世間話や、仕事の愚痴、短絡的な政治談義、病気自慢、私が興味のない野球やゴルフの話になるに決まっていて、死ぬほど退屈になる。逆に「よくわからんものが好き」という人なら、ちゃんと楽しい話題で話ができる。

雅楽にはまれる人、グレゴリオ聖歌で退屈しない人、歌舞伎を「日常」として受け入れられる人、現代詩をじっくり読み進められる人、前衛ジャズで気持ちよくなれる人、抽象画をみて「わからん」と言い捨てる発想がない人、ポストモダニズム哲学に「洒落」を感じられる人、相対性理論や量子力学にロマンを見いだす人……等々、すべて気が合う。

ものごとを表面的な数字で表すとわかったつもりになる人、右か左かで割り切れることしか理解できない人、「役に立つ」ことにしか価値を見い出せない人、歴史は一つだと思っている人、お金はあればあるほどいいと思っている人、馬鹿より利口の方がいいと本気で思っている人……等々、こちらは苦手だ。

で、どうも世の中には、私の苦手な人の方が多くて、本当に気の合う人は少数派のようなのである。「よくわからないこと」で盛り上がれる人は、本当に少ない。それをわかった上で、私も還暦を過ぎたので、苦手な人に無理に合わせて世渡りをする段階からは、そろそろ卒業しようと思い始めた。

前衛芸術を簡単に「わからん!」と言い捨てる人は、実はクラシックなものだって全然わかっていない。「わからん!」と言いやすいものに平気で「わからん!」と言うだけで、 「わからん!」と言いにくいものは、権威に寄り添ってわかった振りをしているか、わかったような気になっているかのどちらかである。

問題は、「わかる/わからない」ではなく、「おもしろがれるかどうか」である。実は、世の中の多くの「おもしろいもの」は、「よくわからん」から「おもしろい」のである。それを「わからん!」の一言で遠ざけておもしろがらないのは、実にもったいないことだ。

 

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