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2013年10月26日

「とりあえず平身低頭」の文化と、「謝りつつもしっかり弁明」の文化

阪急阪神ホテルズ・グループでの、食品虚偽表示が問題になっている。阪急阪神ホテルズの虚偽表示では、お偉方ががん首揃えて深々と頭を下げて詫びていたが、同じグループでも、リッツ・カールトンの方は外国人の総支配人がエラソーに「あれは『誤表示』であって、『偽装表示』ではない」と言い張っている。

このあたり、おもしろいなあと思う。日本人は「とりあえず頭を下げておけば、そのうち収まる」とばかりに、何度も練習して平身低頭するのだが、西洋人はそう易々とは全面降伏しない。日本人には「往生際が悪い」と思われるまでの弁明を展開する。

これ、本当に「文化の違い」としか言いようがない。私は学校を出て仕事に就いた時、先輩に「失敗したら下手に言い訳せずに、とにかくひたすら頭を下げて詫びろ。そうすれば許してもらえる」と教わった。私は「へえ、失敗にはそれなりの理由があるはずなのに、それすら言っちゃいけないのか」と、驚いた憶えがある。

一方、西洋では何か失敗したら、できるだけの弁明をしたがるヤツが多い。「これは確かに失敗ではあるが、不可抗力的な側面が大きい」と、必死になって説明し、それが認められれば大きく咎められることはない。それどころか「失敗に学んだ強み」まで強調して、「次は絶対大丈夫」までもって行けることだってある。

日本ではとりあえず謝りまくれば「誠意を示した」なんてことになるが、西洋ではそうはならないのである。面白いのは、同じ日本人の失敗には、何がなんでも責め立てて土下座までさせたがるのに、西洋人の失敗には、何だかわからないうちに、いつの間にか弁明に付き合ってしまう日本人が多いということだ。これって、ダブル・スタンダードだよね。

ただ言えるのは、日本人は弁明がどうしようもなく下手くそなのである。多くは感情的に卑屈になるか開き直るかのどちらかで、どうでもいい言い訳にもならない言い訳をくどくど繰り返すだけだから、相手はいずれにしても「カチン」と来る。

もっとも日本の風土では、論理的な弁明をしようとしても拒まれる空気があるので、仕方ないと言えば仕方ない。最高の誠意を示す行為が「土下座」だというのだから、要するに八方ふさがりなのだ。

それに対して西洋人の "apology" はかなり堂々としているので、日本人はついそのペースに飲まれてしまって、いつもの感情論で責め立てるメソッドが成立しなくなってしまう。これも元はと言えば、論理で渡り合うより感情論でいきり立つ方が強く出られるという、妙な風土に馴染みすぎたことが問題なのだが。

和英辞書で「謝罪」を引くと "apology" という単語が出てくる。しかし和英辞書的にはその通りなのだが、"apology" は何が何でも平身低頭する謝り方ではなく、大抵の場合は、半分ぐらい「言い訳」が織り込まれている。言い訳要素のまったくないアポロジーは、あまり聞いたことがない。謝りつつも、弁明はしっかりするのである。

その証拠に、英和辞書で "apology" を引き返すと、必ず「弁明、 弁護」という意味も併記されている。私は "apology" というのは、"regret"(遺憾の意)より少しは「とはいえごめんね要素」が強い程度のものだと思っている。

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