「とりあえず平身低頭」の文化と、「謝りつつもしっかり弁明」の文化
阪急阪神ホテルズ・グループでの食品虚偽表示が問題になっている。お偉方ががん首揃えて深々と頭を下げて詫びていたが、同じグループでも、リッツ・カールトンの方は外国人の総支配人がエラソーに「あれは『誤表示』であって、『偽装表示』ではない」と言い張っている。
このあたり、おもしろいなあと思う。日本人は「とりあえず頭を下げておけば、そのうち収まる」とばかりに、何度も練習してまで平身低頭するのだが、西洋人はそう易々とは全面降伏しない。日本人の感覚からすれば「往生際が悪い」と思われるまでの弁明を展開する。
これ、本当に「文化の違い」としか言いようがない。私は初めて仕事に就いた時、先輩に「失敗したら下手に言い訳せずに、ひたすら頭を下げて詫びろ。そうすれば許してもらえる」と教わった。私は「へえ、失敗にはそれなりの理由があるはずなのに、それすら言っちゃいけないのか」と驚いた憶えがある。
一方、西洋では何か失敗したら、できるだけの弁明をしたがるヤツが多い。「これは確かに失敗ではあるが、不可抗力的な側面が大きい」と、必死になって説明し、それが認められれば大きく咎められることはない。それどころか「失敗に学んだ強み」まで強調して、「次は絶対大丈夫」までもって行けることだってある。
日本ではとりあえず謝りまくれば「誠意を示した」なんてことになるが、西洋ではそうはならないのである。面白いのは、同じ日本人の失敗には、何がなんでも責め立てて土下座までさせたがるのに、西洋人の失敗には、何だかわからないうちに、いつの間にか弁明に付き合ってしまう日本人が多いということだ。
これって、どうみてもダブル・スタンダードだよね。
ただ言えるのは、日本人は弁明がどうしようもなく下手くそなのである。多くは感情的に卑屈になるか開き直るかのどちらかで、言い訳にならないようなどうでもいい繰り言をくどくど言うだけだから、相手はいずれにしても「カチン」と来る。
もっとも日本の風土では論理的な弁明をしようとしても拒まれる空気があるので、仕方ないと言えば仕方ない。最高の誠意を示す行為が「土下座」だというのだから、要するに八方ふさがりなのだ。
それに対して西洋人の "apology" はかなり堂々としているので、日本人はついそのペースに飲まれてしまい、いつもの感情論で責め立てるメソッドが成立しなくなってしまう。元はと言えば、論理で渡り合うより感情論でいきり立つ方が強く出られるという、妙な風土に馴染みすぎたことが問題なのだが。
和英辞書で「謝罪」を引くと "apology" という単語が出てくる。しかし和英辞書的にはその通りなのだが、"apology" は何が何でも平身低頭する謝り方ではなく、大抵の場合は、半分ぐらい「言い訳」が織り込まれている。
言い訳要素のまったくないアポロジーというのは、あまり聞いたことがない。謝りつつも、弁明はしっかりするのである。
その証拠に、英和辞書で "apology" を引き返すと、必ず「弁明、 弁護」という意味も併記されている。私は "apology" というのは、"regret"(遺憾の意)より少しは「とはいえごめんね要素」が強い程度のものだと思っている。
| 固定リンク
「比較文化・フォークロア」カテゴリの記事
- 「歩行者は右側」の規則は江戸時代の慣習と矛盾するけど(2026.02.08)
- Forbes に見る「酒」に関する日米イメージ比較(2026.01.25)
- 外国人にそばを食わせることと、「食の好奇心」(2026.01.22)
- 「つり目 = アジア人差別」という感覚を深掘り(2025.12.18)
- 「アニメのように学校をサボる」ことの国際比較(2025.12.03)







コメント