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2013年10月18日

「アッラー」 という言葉

"イスラム教徒以外の「アッラー」使用禁じる マレーシア上訴裁" という記事に、かなり興味を引かれた。これは 4年前の高裁判決を破棄しての逆転判決で、これによりマレーシアでは、イスラム教以外の「神」を「アッラー」と呼ぶことができなくなったわけだ。

マレー語の「アッラー」はアラビア語からの「外来語」だという。元々のアラビア語では「アッラー」は「神」を表す普通名詞で、イスラム教固有の神に「アッラー」という名前が付けられているわけではない。「天照大神」とか「大国主命」とかいうような固有名詞ではないのだ。

それだけにカトリック系の新聞も当然のように、「神」を表す言葉として普通名詞である「アッラー」を使ってきたという経緯がある。英語なら「ゴッド」だが、マレーシアだから当然のごとく、アラビア語から入ってきた外来語とはいえ、マレー語として定着している「アッラー」を使ってきたわけだ。

ところがマレーシア上訴裁のモハメド・アパンディ・アリ裁判長は、「アッラー」という言葉が「キリスト教の信仰に不可欠なものではない。使用は社会の混乱を招く可能性がある」として、高裁の判決を覆してしまったというわけだ。

これは例えていえば、「神」というのは日本の神道固有の言葉だから、他の宗教、例えばキリスト教などで使うと混乱を生じる可能性がある。よって、「日本語訳の聖書の中で『神』という言葉を使っちゃダメ」と言っているようなものだ。(もっとも日本の神は八百万だから、それはあり得ないが)

「とはいえ、『アッラー』のイメージはイスラム教と不可分で、他の宗教で使うと違和感がある」という主張もあるだろう。しかし、あくまでも元々は一般名詞なのだから、使用が禁じられては、「じゃあ、ほかに何と呼べばいいのだ?」ということになる。もし日本語の聖書で「神」という言葉を使えなかったら、他に言い換え可能な言葉が見当たらない。

しかし、もしマレー語の「アッラー」が、日本の隠れキリシタンが「神」を表す言葉として使ってきた「デウス様」(デウスは、ポルトガル語で「神」を表す普通名詞)みたいなもので、元々のマレー語土着の言葉で「神」を表す言葉があるならば、問題は少ない。今後はそれを使えばいい。

もしそれがなくて、ずっと昔から「アッラー」という言葉を使ってきたのだとしたら、イスラム教以外の宗教では、本当に困ってしまうだろう。

 

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