2020年は「壮大な終わり」の確認の年になりそうだ
あれだけ熱狂した(いや、そんなにしたかな? という気もするが)オリンピック招致だが、もしかしたら、東京開催の決まった今年の 9月初旬が熱狂のピークで、後は徐々に冷めていくんじゃなかろうかという気がする。既に猪瀬都知事のスキャンダルでも、ちょっと水を差されちゃったことだし。
まあ、開催本番には嫌でも盛り上がりをみせるだろうが、それでも、「そういえば、8年前に決める時には、『お・も・て・な・し』 なんて、ちょっと気恥ずかしいこと言ってたよね」なんてことを言ってるような気がする。
このブログの読者は既におわかりと思うが、私は今回の東京オリンピック開催について、決して喜んでいない。むしろシニカルである。「そんなにやりたければどうぞ」という感じだが、もっとぶっちゃけて言えば「反対」だ。ただ、それをあまり鮮明に打ち出すほどの思い入れもないというだけだ。
開催決定後の、次の 2本の記事を読んで頂ければ、私の大体のスタンスがわかると思う。
オリンピックの東京誘致成功を巡る冒険 (2013/09/08)
オリンピック開催は決まっちゃったことだし (2013/09/12)
まあ、一番正確に表現できる言葉は、「反対」よりも「冷淡」なんだと思う。申し訳ないけど。
ところがこんな記事を書いていると、「せっかく東京開催が決まって、みんな喜んでいるのに、どうしてそんなに後ろ向きのことを言うのだ」と、怒る人がいる。中には、「東京オリンピック開催が決まったとたんに、そんなぶち壊しのことを言うのは、性格が悪すぎる」なんて非難されることまである。
で、私は自分の名誉のために言っておくが、オリンピックにシニカルなのは今に始まったことじゃなくて、かなり前からなのである。昨年以前にも、こんな記事を書いている。
北京で終わってしまったオリンピック (2008/08/05)
オリンピックへの無関心 (2012/07/23)
ここらでちょっとまとめてみると、私とて初めからオリンピックに冷淡だったわけじゃなく、1964年の東京オリンピックの時には本当に心から熱狂した。あの時は小学校 6年生という多感な時期だったし。
そしてそれですっかりお腹一杯になってしまって、あれからこっち、オリンピックに熱狂したことは一度もないのである。開会式や閉会式の中継に見入ったこともないし、競技にしても、興味のある種目をちらちら見るというだけだ。
本当に、「オリンピックは、もういいんじゃない?」という感じなのである。1964年の東京オリンピックの熱狂にしても冷静にみれば、その後に続く高度成長に伴う負の要素に、誰も気付いていなかっただけという気もするし、もう先進国は開催地への立候補なんて回避すべき(AKB 的な言い方をすれば「卒業」すべき)なんじゃないかなあ。
とくに今回の東京オリンピック開催決定では、開催を成功させるために原発を再稼働させなければならないという議論になってしまうだろうことが、個人的には最も気にくわないところである。
私の感覚では、オリンピックは、百貨店みたいなものである。この 2つに象徴される文明は、もうほとんど使命を負えたんじゃないかという気がするのだ。私にとっては 1964年が「始まり」で、2020年は「壮大な終わり」をゆっくりと、そして嫌というほど確認する年になると思う。
私としては、そろそろ「別の始まり」を楽しんでいきたい。もう還暦を越えているのだから、「別の始まり」は、早い方がいいのだ。2020年に終わりを確認してから始めるのでは、遅すぎることになるからね。
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