何故年をとると 1年が短い? その2
いやはや、討ち入りの日がもう過ぎようとしている。もっとも、忠臣蔵の討ち入りは旧暦の 12月 14日だから、季節感から言ってももう少し真冬っぽい中で行われたのだが。
それにしても、時の経つのは早い。早い早いとは思っていたが、還暦を過ぎたらますます早い。こないだテレビで箱根駅伝を見たばかりだと思っていたら、もうこんな時期である。1年が 1週間より早いみたいな気がする。
「そう言えば、前にもこんなようなことを書いたような気がする」と思い、自分のブログ内をググってみたら、8年前に書いた「何故年をとると 1年が短い?」という記事が見つかった。なんだ、そんなに前から同じようなことを思っていたのか。我ながら進歩がないなあ。
この記事の中で、私はこんなようなことを書いている。
この時間感覚の加速度の理由が、先日の忘年会で話題になった。
私は、子どもの頃の 1年は、自分の全人生の数分の 1の比重だが、20歳では 20分の 1に減り、50歳では 50分の 1に過ぎなくなる。つまり、自分の来し方との比較で、相対的に短く実感されるのではないかという推論を述べた。
この推論、ちょっとググって見たら、実は権威ある心理学者が既に発表しているのと同じだったのである。それは「ジャネの法則」といわれるものなのだそうで、Wikipedia には 「簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」 ということで、次のように説明されている。
例えば、50歳の人間にとって 1年の長さは人生の 50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては 5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての 10年間は 5歳の人間にとっての 1年間に当たり、5歳の人間の 1日が50歳の人間の 10日に当たることになる。
これは、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著作で紹介した法則なんだそうだ。なんだ、私の推論みたいなものは、別に目新しいものではなく、前々世紀の人間でもちょっと考えれば思いつくようなことだったのだね。
というわけで私としては、こんな機械的な発想よりも、上述の記事で紹介した私の友人の「長く生きていろいろな経験を重ねるにつれて、『感動』が少なくなるので、ただ淡々と時が過ぎるだけになるのではないか」という指摘の方を重く見たくなったりするのでる。
最近とみに「感動力」ってものが大切だと思うのだよ。感動がなくなると、頭もぼけるというしね。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 席を譲るのを「恥ずかしがる」という妙な免罪符(2025.03.11)
- 「ねるねるねるね」というモノのミステリー(2025.03.05)
- 戦前のカレンダーからわかってくること(2025.03.04)
- 新幹線に 2人席と 3人席があるって、そんなに便利か?(2025.02.19)
- 日本のスタバも、メニュー削減してくれないかなあ(2025.01.31)
コメント
そういえば、加齢とともに代謝速度が遅くなるから、というような生理学的な説明を読んだこともあります。記憶が曖昧ですが、子どもの場合は代謝が年20サイクルあるのが年長者だと10サイクルになるから、1年が半分の長さに感じられるようになる、みたいな話でした(むろん、ここでの数値は適当です)。たぶん、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』とかそのへんだったと思います。
投稿: 山辺響 | 2013年12月16日 11:38
世のご老人たちが言う
「一日は長いけど一年は短い」を考えてみました。
たとえば4つの趣味を持っていて、
「ゲートボール ⇒ 盆栽 ⇒ お茶 ⇒ 散歩」
が毎日忙しいとして、でも同じことだけを一年繰り返したら、
一年で4つのことしかやっていないように思う。
だから、もし同じ4つの趣味をやっても、日々新しい発見や
感動がある人は一年が長く感じるのではないかなぁ。
つまりご老人に限った話ではないのだ、と思いました。
…というわけで私も「感動論」に一票ですw。
投稿: るー | 2013年12月16日 12:40
山辺響 さん:
しかし、いくら心と体が密接に関連しているとしても、代謝が意識をそこまで規定するかなあと思います ^^;)
投稿: tak | 2013年12月16日 20:50
るー さん:
感動のあまり、あっという間に時が経ったりして ^^;)
投稿: tak | 2013年12月16日 20:52