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2013年12月28日

靖国参拝問題をもう一度

昨日の「靖国問題について、個人的な感慨を述べる」という記事の続きである。

昨日は、今回の首相の靖国参拝がこれだけ国際問題となっていることの背景に、安部首相の右翼的なナショナリストというイメージがあるだろうというようなことを書いた。「フィギュア・スケートの採点が、前評判に左右されやすいようなもの」ということだ。

さらにもう一つの要因がある。これは書こう書こうと思いつつ、いつも書きそびれていたことなのだが、日本政府の情報発信が決定的に不足しているということだ。官房長官が今頃になって、「首相の靖国参拝、粘り強く説明すれば理解得られる」なんて言ってるようでは、寝ぼけすぎである。

やってしまってから、「あ、あれはね……」なんて説明していてはしょうがない。やる前に、というか、米国から「自制要請」があった時に、きちんと日本の立場を説明しておくべきだったのである。

いや、それだけでは足りない。中韓へのカウンター・ロビーをきちんとしておくべきだった。韓国が「性奴隷」キャンペーンを大々的にするから、米国の国会議員にはそれをまともに信じてしまうのが出てきている。マスコミもそんなふうに思い始めている。

そんな風だから、前の韓国大統領のイ・ミョンバクが竹島に上陸した時ですら発せられなかった「失望」なんて言葉が、米国から発せられるのだ。

日本人は、道理というものは「以心伝心」で通じるなんて思っているが、実際には言わなきゃ通じないのである。それも一度だけじゃなく、何度も何度も繰り返して言い続けなければ通じないのだ。

そんなことはフツーの日本人ならビジネス上でいやというほど経験しているはずなのに、政治家はわかろうとしない。とくに外交では全然ダメだ。安部さんは信条を曲げないことをアピールするために、あえて参拝したんだろうが、アピールのターゲットが国内の支持者向けに限定されてしまっている。

馬鹿馬鹿しいことだが、仕方がない。ウソでも百遍言えば本当になったりするのが、世の中というものである。本当のことなら言わなくても通じるなんてことはない。なにしろ、「本当のこと」がいっぱいあったりするのだから。

 

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