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2014年1月11日

門松と晴れ着が見られなくなった

私はサラリーマン時代、ずっと繊維関連の業界で飯を食っていたので、東京の下町にあるオフィスに通う時期が長かった。地下鉄の駅で言えば、日比谷線の小伝馬町とか人形町とかいった、あの辺りである。

あの辺りというのは神田明神に近いので、5月の神田祭では結構盛り上がるし、人形町には安産祈願で有名な水天宮があり、秋には宝田恵比寿神社のべったら市で賑わうという具合で、割と伝統行事が盛んな地域である。だから正月にはちょっとしたビルの前には堂々たる門松が飾られる。

ところがそうした特別な土地柄の所を除くと、最近は門松を飾る家も店もビルも、皆無に近くなってしまった。今年の正月なんて、我が家の周囲は大きなショッピングセンターみたいなところでもなければ、門松なんて全然飾られなかったのである。

門松だけじゃない。お正月の晴れ着というのも、ほとんど見なくなった。初詣に行っても、参拝客はほぼ 100%普段着である。つい 10年ぐらい前までは、晴れ着を着て初詣の列に並ぶ若い女の子がチラホラいたものだが、今年は見事なまでに 1人も見なかった。

仕事始めの日に若い女性が晴れ着を着て出勤するなんて習慣も、絶えて久しい。今どきそんな格好でオフィスに行ったら、浮いてしまってしょうがないだろう。テレビでも、晴れ着の女子アナなんてあまりお目にかからなかった気がする。(元々、テレビはあんまり見ないのだが)

民俗学では「ハレ」と「ケ」などと言って、非日常的祝祭と日常の生活を明確に分けて考えている。しかし最近は、この区別がものすごく曖昧になって、一般的には何でもない日でも、その気になりさえすれば「ハレの日」にして騒げるし、その気にならなければ元日だろうが、思いっきり「ケ」のままだ。

こういう傾向を捉えて、「古き良き日本が失われて残念」といったステロタイプのコメントをする人も多いが、私は正直言って、これで結構居心地がいい。楽なのだよね。「これでいいじゃん」みたいなモンである。

ただ人間というのは年がら年中「ずっと日常のまま」では生きられない生き物である。ストレスがたまってしょうがなくなるか、つまらなくてしょうがなくなるかの、どちらかに陥るのだ。そこで、どこかで無理矢理にでも「ハレ」を作らなければならないということになる。

ところが、日本の 1億 2000万人がこぞって参加できる「ハレの行事」なんて、今や存在しないから、各人、各グループがテキトーに「ハレ」を作って勝手に盛り上がろうとする。で、「隣ではエラく盛り上がってるけど、一体何なんだろうね」ってな具合で、マイナーな「ハレ・イベント」だらけの世の中になる。

その結果、「毎日が、どっかでハレの日」という具合になって、全体としては「ハレ」そのものが日常化してしまう。最近の正月というのは、まさにそんなようなもので、「日常化した『ハレの日』のなれの果て」という具合である。

大抵のものが日常化してしまった現代では、「本当の非日常」はよくよく限られた場でしか体験できない。ここまで来ると、「本当の非日常体験サービス」みたいなのが、仕事として伸びることになるかもしれない。

どんなのかというと、ホノルル・マラソン参加や世界の秘境探検旅行みたいなもので、「宇宙旅行」なんていうのは、その最たるものだろう。ただ、どんなに非日常的なものでも、慣れてしまえば日常に堕してしまうので、突き詰めれば「一期一会」の茶道みたいな、精神的なものに行き着くような気がする。

その意味で、「○道」と名の付く日本の武道や芸道は、かなり深いものなのだと思う。宇宙旅行なんかよりずっと安い費用で、ものすごく非日常的な境地に入ることができて、しかも飽きることがない。

今日は門松や晴れ着の話から、とんでもないところに行き着いてしまった。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

昔は、銀行の仕事始めの日なんか、女子行員は晴れ着を着てお札を数えていた記憶がある(テレビで見た)。女子行員にとって迷惑だったのか、晴れがましいことだったのか、手当てが出ていたのか、当時いろいろなことを考えていた。

今年は晴れ着を着た女性は街中でとうとう見かけなかった。女性にとって重荷なのかも知れない。

投稿: ハマッコー | 2014年1月11日 17:37

ハマッコー さん:

>女子行員にとって迷惑だったのか、晴れがましいことだったのか、手当てが出ていたのか、当時いろいろなことを考えていた。

迷惑と晴れがましさが、相半ばしていたのかもしれませんね。
それで、次第に 「お手当も出ないのに、やってられないわ」 というのが優勢になってきたというか。

昔はお手当が出ていたのかも知れませんが、今は多分、ないでしょうね。

投稿: tak | 2014年1月12日 17:02

昨日(成人の日)は新宿あたりにいたのですが、ちらほら、という感じでしたね>晴れ着

我が家は、元旦と二日に双方の親族の家で新年会がありましたので、そこには家人と二人で着物で行きました。まぁもう中年なので、晴れ着というほど華やかなものではありませんが(笑)

以前は仕事始めの日は仕事なんて形ばかりで昼から飲んでいるなんて雰囲気もあったので晴れ着もありだったのかもしれませんが、最近ではわりと初日からバタバタ忙しいことも多くなった気がします……。

投稿: 山辺響 | 2014年1月14日 13:24

山辺響 さん:

>昨日(成人の日)は新宿あたりにいたのですが、ちらほら、という感じでしたね>晴れ着

こうまで晴れ着の人が減ってくると、着物の業界も大変でしょうね。成人式需要があるとはいえ、新成人の数が減っているし。

>我が家は、元旦と二日に双方の親族の家で新年会がありましたので、そこには家人と二人で着物で行きました。まぁもう中年なので、晴れ着というほど華やかなものではありませんが(笑)

こういう習慣があるといいですね。私は着物の需要減退は、晴れ着に偏りすぎたからだと思っています。
フツーに着物を着るライフスタイル提案が、まったくできていないのですから、あまり未来が感じられません。

仕事始めに関しては、とくに今年は 9日間も休んじゃった後なので、そそくさと仕事に入っちゃったみたいですね。

投稿: tak | 2014年1月14日 19:34

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