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2014年1月 7日

「おかんアート」 と現代アートの、ビミョーで大きな違い

団塊の世代か、それ以前の生まれの専業主婦のいる家庭では、昔から必ずといっていいほど見かけて、その度に内心「なんじゃ、こりゃ?」と思ってしまうものがある。毛糸で作った他愛もない人形やドアノブ・カバー、くどいレース手芸、広告チラシやたばこのパッケージで作った敷物、あるいは、何だかさっぱりわけのわからない装飾品などだ。

こうした代物には「おかんアート」という名称が付けられていると最近知った。この言葉を最初に聞いた時は棺桶の装飾かと思ったが、そうじゃない。Google で画像検索してみると、出てくるわ、出てくるわ、まあ、こんなようなもの である。

誰が喜ぶわけでもないのに、玄関や茶の間にこれみよがしに飾ってある場合が多く、トイレを拝借しても、しっかりと飾ってあったりする。さらに近頃は、地域密着のコミュニティセンターのロビー、道の駅のレストランの片隅、信用金庫の入り口などへの進出が著しい。

行きがかり上、どうしても何かコメントしなければならない状況に陥った時は、「これは手が込んでますねぇ」と言うことにしている。価値判断を伴わない客観的事実だけの、まったく当たり障りのないコメントだが、言われた方は「素晴らしいですね」と言われたかのように勝手に喜んでくれるから、かなり便利な言葉だ。

神戸を拠点に、おかんアートの探索活動を続けているグループ「下町レトロに首っ丈の会」の山下香さんの自費出版による、その名も『おかんアート』という本によると、おかんアートの定義は以下のようになるらしい。

  1. 基本的に、非常に役に立つとは言い切れないが勢いはある。
  2. いらないものの再利用 (眠った子を起こす)。
  3. 飾る場所に困る。飾るときはビニールに入れたままにしたりする。
  4. 部屋のあらゆる場所に侵攻してくる。
  5. センスが良いなど気にせず、セメントのズレなんかも気にしない。
  6. なのに、暖かみだけは、熱いほどある。
  7. 作りすぎて置き場がなくなり、人への配布をスタートする。
  8. 置いた瞬間、どんなにおしゃれな部屋ももっさりさせる破壊力大。
  9. とぼけた顔にイラッと来るか、なごまされるかはあなた次第。
  10. フィーリングで作るキティとドラえもんは危険。

「どんなにおしゃれな部屋ももっさりさせる破壊力大」というのが、まさに言い得て妙である。なるべくもらいたくないのだが、善意いっぱいの笑顔で「これ、どうぞ」なんて言われると、「いらない」とも言いにくくて、本当に本当に困ってしまう。帰り道で駅のゴミ箱に捨ててしまいたくなるが、それも何だか気がとがめるしね。

ところで、"ART iT" というサイトの 2011年 11月 14日付「おかんアートという時限爆弾」という記事で都築響一さんという方が、このおかんアートについて詳細に考察しておられて、上記のおかんアートの定義について、次のように述べている。

これって、読みようによっては、現代美術が(本来)目指すものと、まったくいっしょじゃないか。実用にならなくて、見るひとを困惑させて、オシャレ空間を一発で破壊して、勢いと熱さだけはあふれるほどあって。

なるほど、都築さんがこのブログで紹介しているように、おかんアートはニューヨークのパンクバンド、Sonic Youth の Tシャツデザインとそっくりである。彼は続ける。

100%の善意で作られたものが、見方をちょっと変えるだけで、冷酷なアイロニーのカタマリになったりする。かっこわるいもののはずが、突然かっこいいものに見えてきたりする。置かれる場所によって、だれにも望まれない飾り物になったり、バリバリの現代美術作品になったりする。

つまり、ちょっとだけ文脈を変えるというか、立ち位置を変えるというか、パラダイム・シフトしちゃうというか、そんなようなことをするだけで、おかんアートのコンセプトはがらりと変貌する可能性があるというのだ。

現状のおかんアートが 「バリバリの現代美術作品」に紙一重の差でなっていない理由は、「作り手にその気がない」という一点だけなのかもしれない。その気で作りさえすれば、ビミョーな一線をあっという間に越えられるのだが、この「その気」という次元に達するのは、実は相当に難しいことなのである。

 

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コメント

「おかんアート」は、カテゴリー的には「手芸」でやんしょうな。視覚的には「現代アート」っぽく見えるかもしれやせんが、一応は「実用」を考えてやすからね。
なぜこうゆうのをせっせと作るかというと、こないだのアレと一緒で、本能的なもんでしょうな。
つまり、稲作を始める以前の大昔、男は狩りをし、獲物を持って帰る。女は獲物を料理して子らに食べさせ、皮で服を作った。骨で作った針でチクチクとね。
このチクチクは、つい最近まで女たちの重要な仕事でしたな。
ところが今じゃ、服なんかごく普通の主婦は作りませんな。そんなの、買っちまったほうが速いですからな。
しかしDNAに刻み込まれた「チクチクする本能」は、材料になりそうな物を見れば、作業をしたくなっちまうんですな。
こないだの「生地や袋をためこむ」のも同じでやんしょうな。あっしも女系家族なんでわかりやす。
あっしゃそう思うんでげすよ。

投稿: げすべえでげす | 2014年1月 7日 22:45

げすべえでげす さん:

>しかしDNAに刻み込まれた「チクチクする本能」は、材料になりそうな物を見れば、作業をしたくなっちまうんですな。
>こないだの「生地や袋をためこむ」のも同じでやんしょうな。あっしも女系家族なんでわかりやす。

なるほど、ものすごく納得しました!

投稿: tak | 2014年1月 8日 10:17

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