年賀状というもの
一時は年賀状を 200枚近く出していたが、今年の年賀状は 90枚ぐらいになっている。これからまだ、出していない人から来た年賀状の返信でもう少し使い、結局のところは 100枚近くになるのだろうが、それでも半分程度に減っている。
減った最大の理由は、人が死んだことである。親戚や知人が、それこそどんどん死ぬので、これはもう機械的というか、自動的に減るのだ。親しい遺族が残っている場合は継続してそちらに出すが、そうでもない場合は、もうそれでおしまい。はかないものである。
ただ、私の住所録には死んだ人の名前と住所がいくつも残っている。死んでしまったからといって、あっさりと削除してしまう気になれないのだ。心の整理がついて削除するまで、平均で 5~6年かかる。かなりお世話になった人の場合なんかは、10年ぐらいかかる。父の名前のある実家の住所なんかは、延々と残るだろう。
それから、仕事関係の人が少しずつ減っている。停年で仕事を辞めた人でも、個人的に親しくさせてもらっている人には、自宅宛に年賀状を出すが、そうでもない場合はそれであっさりおしまいだ。私も還暦を過ぎて、仕事を拡大しているわけじゃなく、むしろ縮小しているので、この関係の年賀状がかなり減ってきている。
昔の知り合いとか遠い親戚で、ずっと年賀状のやりとりだけの付き合いになっている人がいる。20年以上顔を合わせたこともなく、葉書や電話、ネット上のやりとりをしているわけでもないのに、年賀状だけは向こうから来るから、ついこちらからも出してしまう。
これなどは先方でも「向こうから来るんだから、こちらも出さないわけにいかないなあ」なんて、うっとうしがっているのかもしれず、膠着状態みたいなものだ。私としても年賀状の数を減らしていきたいと思っている折なので、このケースが一番の悩みである。
メールで済ませるということに関しては、ちょっと前までは、「年賀状だけはリアルの葉書でないと、気分が出ないよ」 なんて、「部屋の本棚の中の本を全部自炊できたら、どんなに楽か」なんて思っている私にしては、かなりコンサバな考えだったが、近頃ついに億劫になって「年賀状もメールでいいよ」と思い始めた。
とはいえ、私より世代が上の田舎の親戚(つまり「おじ、おば」の世代)には、メールを扱えるのがほとんどいないので、相変わらずリアルの葉書でなければならない。このあたりの世代交代が進んだら、メールで済ませられるかもしれないと思っていたのだが、従兄弟/従姉妹の世代でも、どうもまだ抵抗があるようだ。
「自然保護のために、年賀状をメールに置き換えて紙の消費を減らそう」なんていうかけ声が、政府から発せられるとありがたいのだが、郵便局が職員にノルマを課してまで年賀状の売上げを促進したいみたいなので、あまり期待できない。それで金券ショップには、ノルマで買わされてすぐに換金した年賀状が、安く出回っている。
結局のところ、自分の生きている間は、相変わらずインクジェット・プリンターをジーコン、ジーコンと動かして印刷し、郵便ポストに投函しに行くという、億劫な作業を続けなければならないのだろうと、覚悟を決めている。
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コメント
私は去年転職してから、ごっそりと年賀状が減りました!
(´・ω・`)
投稿: ひろゆき | 2014年1月 2日 19:44
ひろゆき さん:
年賀状は多けりゃいいってもんじゃないですね。
むしろ、少ない方が気楽かもしれません。
投稿: tak | 2014年1月 2日 21:23