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2014年1月24日

"Quality" という言葉の意味

"「quality」という単語の意味は日本と韓国と中国で変わる?" という記事がちょっと話題になっていたので行ってみると、Derek Sivers という人の記事の紹介だった。元記事は "Same word. Different places? Different meanings" というタイトルである。「同じ言葉も、所変われば意味が変わる」 というようなことだ。

起業コンサルタントで投資家でもある Benjamin Joffe (@benjaminjoffe) というフランス人が、Derek Sivers に語ったところによると、"quality" という言葉の意味が、日本、韓国、中国では変わるのだそうだ。もちろん、米国でも違う。

ここで語られる "quality" は、「品質」という日本語に直訳してしまうと、ほんの少しズレてしまうことに注意したい。Derek と Benjamin は、"quality" という英単語について、英語で語り合ったのだと言うことを忘れてはならない。

それは「品質」という客観的な意味より「質の高さ」みたいなイメージに近いと思う。 "Quality paper" といったら、"Sun" や「東スポ」じゃない「高級紙」になっちゃうし、"A book of quality" は「良書」という意味になるという感じがわかれば、以下が理解しやすい。

米国人である Derek は Benjamin に「Quality と言ったら、どんな意味だと思う?」と尋ねられ、こう答える。

"Quality means it works. It's well-built. It will last."

「Quality というのは、ちゃんと機能して、造りもよくて、長持ちするってことでしょ」と答えたわけである。これが米国人の "quality" に関する典型的なイメージなのだろう。実質本意。お洒落なデザインとか、使っていてしみじみしたり、うきうきしたりする要素というような、情緒的なコンセプトにはあまり考えが及ばない。

それに対して Benjamin は、「それは君たちアメリカ人の考える "quality" の意味だ」と指摘する。要するにアメリカ人にとっては、ちゃんと機能しさえすればそれが "quality" というものなのだ。

アジア地域で広くビジネスを体験してきた Benjamin は、韓国、日本、中国では、"Quality" という言葉の意味するところが違うと言う。ざっとこんな具合だ。

韓国人に "quality" とは何かと尋ねると、"it's brand new"(真新しいこと)という答えが返ってくる。つまり、韓国では「常に変わらぬ普遍的価値」や「非常に耐久性のある製品」なんかを訴求しても無駄というわけだ。

一方、日本人にとっての "quality" とは、"it's perfect - zero defects"(完璧で欠陥なし)ということになる。日本に機械を輸出した会社が、中身の機械そのものには問題がないのに、梱包が傷んでいたという理由で返品をくらったという例が紹介されている。まあ、これは極端な例だろうが、確かにそんなところはあるかもしれない。

はたまた中国人にとっての "quality" は、"it gives status"(ステータスを感じさせる)ということだという。それをもつことによって社会的地位を感じさせることができれば、要するに見かけの押し出しがよければ、中身がどうでも案外構わないというわけだ。

なるほどね。トヨタの小型車「ヤリス」(日本では 「ヴィッツ」)を、中国人社員のアイデアで大きく豪華に見えるデザインに変えただけで、中国での売れ行きがアップしたというのは有名な話である(参照)。それでヴィッツのデザインって、私には小型車のくせにご大層すぎて、「キビキビ感」に欠けると感じられるわけだ。

現代の日本人からみれば、韓国人と中国人の価値観はかなりエキセントリックに思われる。しかしちょっと昔の日本を考えてみれば、我々自身が通過してきた価値観とそんなに遠くないとわかる。

戦前から高度成長期に到るまでの日本では、「舶来」が「高品質」の代名詞だった。当時の国産品は安くて低品質のものが多かったとはいえ、舶来が国産品の十倍以上の値段にふさわしいほどの圧倒的な高品質だったかといえば、それは怪しいものだ。しかし昔の金持ち(成金?)は、こぞって舶来の "quality products" を身に付けていたのである。

今でもグッチのバッグをもち、やたら高い腕時計を見せびらかし、メルセデスに乗りたがる人が少なからずいるが、これは、今の中国の価値観と共通する。私だったら、ただでもらっても使わないと思うが。

韓国人の「新しもの好き」だって笑えない。つい最近の日本人もそうだったではないか。あの「バブル」の頃を思い出してみるがいい。日本人はこぞって「新しいディスコ、新しい音楽、新しいダンス、新しいファッション・ブランド、新しい億ション、新しいクルマ、新しいゴルフ・クラブ、新しいオフィス・デザイン等々」にうつつを抜かしていた。

あの頃の私は、そうした動きを活字にするのが仕事だったが、「世に話題の新しいもの」に接するたびにため息をついて、「トレンディを気取るのも、楽じゃなかろうに」と、しみじみ呟いていたものだ。

こうしてみると、私の "quality" という言葉に関するイメージは「アメリカ + 日本 ÷ 2 に、ヨーロッパのスパイスを少々まぶしたもの」という気がする。

アメリカ式の「機能しさえすりゃ OK」というのは、日本人である私にとっては "quality" というより "standard"(当たり前)にすぎないことのように思われるが、個人的には「当たり前」が実現されさえすれば、特段の不満はない。そこに目立ちすぎないデザインの良さが加われば、私には満足以上の "quality" である。

「完璧で欠陥なし」というのは、私如きにとっては「無茶な要求」というものだ。それは "quality" というより "dream" である。

ちなみに Benjamin は、 "music", "romantic", "friends" さらに "fun" という言葉についてさえ、異文化においては意味が異なると言っているそうだ。なるほど、日本人のいう 「ロマンチック」 って、ちょっと特殊なところがあるかもしれない。

 

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コメント

翻訳を業とする者としては大変興味深い話です。quality paperというときのqualityは、中国人の考えるqualityにけっこう近いのかなぁ。後者は単に見栄えかもしれないけど(笑)

投稿: 山辺響 | 2014年1月24日 09:18

山辺響 さん:

>quality paperというときのqualityは、中国人の考えるqualityにけっこう近いのかなぁ。

そういえば、バブルの頃は見栄で日経読んでる人も多かった気がします。

投稿: tak | 2014年1月25日 22:28

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