卒業式シーズンに思うこと
卒業式シーズンである。日本の「卒業」のイメージと言えば、どちらかといえば未来よりも過去に思いを馳せる傾向が強いみたいで、 「思い出」とか「別れ」とかいうキーワードが優先されている。卒業式で別れを惜しんで涙を流すなんていう光景も、そんなに珍しくない。
私は、高校までは学校が大嫌いだった。大学となると、ちょっとそのコンセプトからして違ってきてしまうので、嫌う必要もなくなったが、とにかく高校までは正真正銘の学校嫌いだった。だから学校の卒業式は、嬉しくてたまらなかった。「ああ、やっと、この気詰まりなところから脱出できる」と思うばかりだったのである。
とくに高校を卒業する時には、「これで狭い田舎町から脱出できる」という思いも加わっていたので、過去の思い出に浸るなんて気には全然ならず、新たに始まる東京での一人暮らしが、楽しみで仕方がなかった。
というわけで、私は過去に執着するということがほとんどない、もろにノー天気なタイプである。「あの時、もっとああしとけばよかった」なんて後悔する人も少なからずいるが、私は「しなかったんだから、しょうがないじゃん」と開き直るばかりだ。たとえタイムマシンで昔に帰ってやり直しに挑戦しても、昔しなかったことは、やっぱりできないのだよ。そんなものだ。
「あれができなかった」ということは、「これができた」ということである。できた「これ」が、できなかった「あれ」に比較していかに小さく思われようと、やっぱり「できたこれ」で生きて行くしかないではないか。それが「身の程」というもので、人生、諦めが肝心である。あっさり諦めてしまえば、悩みのほとんどは解決する。
自分を信じるとは、自分の過去を否定しないということである。たとえ全否定したくなるほどの人生の転機を迎えたとしても、それも過去の道のりがあったからこその賜物なのだ。
卒業シーズンを迎えて、人生の大きな転機にさしかかっている人は、本当にうらやましいほど幸いである。私なんかもう還暦過ぎちゃったから、「人生そのもの」の卒業の前には、それほど大きな卒業をするということもないだろう。それまでは、せいぜいいくつかの「小さな卒業」を楽しんで行くことにしようと思っている。
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