プロレスの今
新日本プロレスの業績回復が著しいという。2012年にカードゲーム会社(らしい)のブシロードに身売りする前の年間売り上げが 11億4000万円だったのに対し、今期は 25億円に達する見通しだという。2年間で観客数も倍増したらしい。
この間の事情に関して、ブシロードの取締役社長、木谷高明氏のコメントが興味深い(参照)。彼が言うには、「すべてのジャンルはコアなファンが潰す」のだそうで、2012年以前の新日本プロレスは、まさにその一歩手前の状態にあったということのようなのだ。
確かに、親日プロは「コアなプロレス・ファン」に支えられていた。コアなプロレス・ファンとは、「東京スポーツ」はもちろんのこと、コアなプロレス雑誌を熱心に読み、裏の裏の事情まで精通し、ある意味「哲学的」なまでの熱心さでプロレスを追求するファンである。
こうした「コアなプロレス・ファン」は、今はなき「週刊ファイト」の初代編集長である、故・井上義啓氏に育て上げられた。いわば「井上編集長ズ・チルドレン」である。井上編集長は「活字プロレス」というものを確立した最大の功労者であり、彼を信奉する「コアなプロレス・ファン」にとっては、プロレスは「考えるもの」であり「読むもの」だったのだ。
しかし、こうした「コアなプロレス・ファン」がプロレスの世界を支配するようになると、市場は排他的にならざるを得ない。フツーの人が「自分はプロレス・ファン」と言いにくい状態になった結果、プロレスは自ら市場を縮小する一方という状況に陥った。
木谷氏はこうした状況を打開するため、山手線の電車にでかでかと広告を出し、プロレスがフツーの人の話題になりやすい空気を現出しようとした。ライトな映画ファンが、「話題の娯楽大作」に殺到するように、ライトなプロレス・ファンが試合会場に足を運びやすいような「巷で話題になってる感」を演出したのである。
その結果、プロレス会場には何と、カップルの来場者も増えた。「コアなプロレス・ファン」が、じっくりと試合を見て、帰りにいつもの仲間同士で酒を酌み交わしながら熱く語り合うというプロレスのイメージから脱却し、市場が広がったのである。
そのかわり、私のような「昔ながらのコアなプロレス・ファン」は、確実にプロレスから離れつつある。本当の読書好きがベストセラーなんか読まないのと同様に、今のプロレスは軽すぎて見るに耐えないと感じてしまうのである。
私は「プロレスの使命は終わった」と思っている。今のプロレスはまた別のジャンルであり、「純文学」に対する「ライトノベル」のようなものかもしれない。純文学好きがライトノベルを読まないように、コアなプロレスファンは、今のプロレスに居心地の悪さを感じる。
というわけで、私は今、プロレスからはほとんど離れて、UFC のような、よりシリアスな格闘技にはまっているわけである。
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コメント
なるほどー U ̄ー ̄U
投稿: ひろゆき | 2014年3月 6日 23:58
ひろゆき さん:
というわけです。
投稿: tak | 2014年3月 7日 00:32