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2014年3月 4日

「単なるお調子者」 の危うさ

三重県の女子中学生殺人事件で逮捕された容疑者が、高校を卒業したばかりの近くに住む少年だったことが、衝撃的に報じられている (参照)。いくつかの報道によると、この少年は成績が常に上位でスポーツ万能、友達も多く、クラスの人気者だったという。

同じ高校に通っていた生徒たちのコメントが紹介されているが、「成績も良く、優しい人という印象。クラスでも人気があった」「うそだと思いたい」など、信じられないといった思いが伝わってくる。しかし、一見して人当たりがよく、人気者的存在になっているやつが、実は案外アブなかったりすることを、私は経験から知っている。

学校での「いじめ」に関しても、いじめの当事者は案外クラスの人気者だったりする。そうした生徒は、自分はクラスのマジョリティを味方につけていると思っているから、案外傲慢な振舞いに出たりする。周りは味方ばかりだから、多少のことでは非難される心配はなく、かえって「かっこいい振舞い」とすら受け取ってもらえる。だから、ますます調子に乗る。

そして意識的、無意識的に関わらず、苦労してマジョリティの中心的ポジションをキープして、いつでも「自分は正しい人」と思い込んでいるから、自分とは別の視線の人間を見ると許せなくなって、ついいじめに走ったりする。

彼らの中には一貫して通っている「芯」みたいなものがなく、単に瞬間瞬間で反射的に、「周囲に好意的に受け取ってもらえるような仕草」を演じているだけなのだ。要するに単なる「お調子者」である。少数派には「なんだ、あいつ」と思われているが、多数派には「優しい人、面白い人」と思われる。

もっと辛辣な言い方をしてしまえば、彼らはちやほやしてくれる馬鹿としか付き合わないから、自分の馬鹿さ加減がわかっていない。そういう人間というのが、年齢や社会的地位に関わらず、世の中にはいくらでもいる。

そうした人間が、ちょっと魔が差してしまった瞬間に、とんでもないことをしでかすことがある。いつも瞬間ごとの条件反射でしか動かず、物事を深く考えたことなんてないから、自分の行為の結果がどうなるかなんてことまでは、思いが至らない。

根本的には、一見かっこ良く見えるけれど、実は軽はずみな行為しかできないという人間が、マジョリティの中で中心にいられるという構造が問題である。「なんだ、あいつ」と反感を覚えて遠ざかり、マイノリティの中に身を置くよりも、付和雷同してマジョリティに加わる方が楽という「空気」が一番やっかいなのだ。

ものを考えないマジョリティからはどう思われようと、時には敢えて 「空気を読まない」 ことが大切だと、私はいつも思う。

 

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コメント

実家の隣の県で起きた事件、痛ましい事と思っておりました。状況を詳しく理解しておりませんが、「彼らはちやほやしてくれる馬鹿としか.....年齢や社会的地位に関わらず、世の中にはいくらでもいる。」推測できる原因の一部かと思います。「世の中にいくらでもいる」同感です。私が勤めていた会社にもいました。
尚、いじめに付いてですが、「いじめは、異質なものを認めない差別意識、劣等感の裏返しの優越感から生まれます」(出典?不明)「マジョリティの中心的ポジション」を維持し、いじめをする人って、これに該当するのではないでしょうか。(時々ですが興味深く拝読させて頂いております。ありがとうございます)

投稿: coolbaby | 2014年3月 4日 21:05

coolbaby さん:

>「世の中にいくらでもいる」同感です。私が勤めていた会社にもいました。

いるでしょう。
本当にどこに行っても必ずといっていいほどいます。

>尚、いじめに付いてですが、「いじめは、異質なものを認めない差別意識、劣等感の裏返しの優越感から生まれます」(出典?不明)「マジョリティの中心的ポジション」を維持し、いじめをする人って、これに該当するのではないでしょうか。

もろに該当します。
基本的に 「違ってるからおもしろい」 と、多様性を認め、楽しむ精神をもっている人は、いじめに走りません。

投稿: tak | 2014年3月 5日 00:25

納得はできるんですが、犯罪者を一般論で語るのは危険じゃないですか?
それこそ「オタクは犯罪者予備軍が多い」みたいな論調と同一視されてしまう気がします。
(もちろん本旨は後半部分なんだと思いますが)

投稿: k2 | 2014年3月 6日 08:39

k2 さん:

「オタクは犯罪者予備軍が多い」 という論調は、オタクを排他的に特別視する点が問題であり、「犯罪者を一般論で語る」 ということとは対照的で、つまり、まったく違うのではないでしょうか。

一見フツーの人が、ちょっと魔が差したときに犯罪を犯すことがあるのですから、むしろ 「犯罪者を一般論で語る」 ことは必要ではないかと思うことすらあります。

犯罪者はそれほど特別な存在ではなく、今回触れた 「単なるお調子者」 だけでなく、誰もがふとした拍子に犯罪者になってしまうリスクがあるということから、顔を背けてはならないと思うのです。

投稿: tak | 2014年3月 6日 18:31

「一般論で語る」というのはちょっと言葉選びを間違えたかもしれません。
一部の事件の犯人を見て、「犯罪者(アブない人)にはそのタイプの人間が多い」と言うのをどうかなーと思ったまでです。
(そう書かれてるつもりは無くてもそう読んじゃう人がいるんじゃないかなぁという意味で「危険」と書きました)

でも書かれてる内容は納得です。
「お調子者がアブない」というよりは「マジョリティの出来上がり方やマジョリティであろうとする意識が危ない」ってことですよね。

投稿: k2 | 2014年3月 6日 22:00

k2 さん:

「犯罪者(アブない人)にはそのタイプの人間が多い」 と書いたわけではなく、「そういうタイプの人間が案外アブなかたりする」 という書き方をしたわけなんですがね ^^;)

投稿: tak | 2014年3月 7日 00:29

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