私の机の上がごちゃごちゃなのは
6年近く前に 「バーチャルなデスクトップはきれいなのに」というエントリーで書いたように、私の PC の中(当時はハードディスクだったが、今は SSD) は、人に誇れるほどきれいに整理されていて、どんなファイルも即座に開くことができるのに、リアルのデスクトップ(つまり、事務机の上)は堆積した書類でゴチャゴチャで、手がつけられないほどだ。
どうして、バーチャルのデスクトップはこんなにもきれいに整理されているのに、リアルではできないのかといえば、件の記事では次のように書いている。
まことにもって、形と重さのある現実のファイルや書類、ケーブルやコードの整理というのは、 PC の中のディジタルな符号と違って、ものすごく時間がかかる。
つまり、デジタルなファイルは一瞬にして整理できるのに、「形の重さのある現実のファイルや書類」の整理は時間がかかるからだとしている。しかし最近、私はこの見方がはなはだ中途半端で、こんな考え方をしている限りは、机の上の整理問題は解決しないと悟った。
きちんと分析すれば、PC の中身がいつもきれいに整理されているのは、一度フォルダの中に保存したファイルは、何度開いて編集しようと、閉じさえすれば即座に元のフォルダに収まるからだとわかる。つまり最初に保存する時に最適のフォルダを指定してやりさえすれば、後は「片付ける」という手間が要らないのである。
ところが、リアルの書類はそうはいかない。書類棚から取り出して開いたり閉じたりして作業を進め、その作業が終わっても、机の上にそのまま放置してしまうことが多いのだ。そうこうするうちに、うず高く積まれた書類の山の中に埋もれてしまう。
ああ、リアルの書類が、PC の中のデジタル・ファイルのように、必要になったらちょんちょんと叩いてやるだけで開き、作業が終わったら閉じてやるだけで、元の位置にさっと収納されるものだったら、どんなにありがたいだろう。
現実の書類が、「閉じる度に元の場所に戻す」という一手間が必要である限り、私の机の上は永遠にごちゃごちゃのままである。たまに思い立って、一日がかりで整理しようとも、三日も経てば元の木阿弥だ。
一見きれいに整理された書類棚の中身は、10年に 1度も手をつけなくて済むような古い書類(つまり 「要らない書類」)ばかりで、本当に頻繁に必要になる書類は、机の上の乱雑な堆積の中を必死に探さないと見つからないというパラドックスは、このように必然として現出する。
書類をきれいに整理しようとすれば、日常的にきちんと整理する作業を怠らないようにしなければならない。ところが人間のリソースというのは有限だから、そんなくそ面白くもない地味な作業に手間をかけすぎると、クリエイティブなことなんかできゃしないのである。
几帳面とクリエイティビティは、容易には両立しないのだ。
話は飛躍するが、例の小保方さんみたいに画期的な発見(STAP 細胞が実在すると仮定しての話だが)をするようなタイプの人間は、細かいデータの管理が下手くそと相場が決まっている。
微妙に違うが一見同じような写真データがくさるほどごちゃごちゃあったら、整理下手の大雑把人間は取り違えて当たり前だと、私なんぞは同病相憐むみたいに、つい同情してしまうのだよね。だからといって許されるというわけでは、決してないのだが。
ああ、リアルの形も重さもあるデータ書類が、閉じたとたんにさっと元の場所に戻ってしまうような、形状記憶合金ならぬ 「保管場所記憶ファイル」 とでも言うべき画期的な仕掛けを作ったら、きっと大もうけできるだろうに。いや、これって、リアルでは実現できないから、デジタルでとっくにやっているわけなのだが。
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