七三分けのヅラと 4ドアセダン
ほぼ 1年半前に「4ドアセダンはお好き?」 という記事を書いた。当時の 65歳以上(今の 66〜7歳以上)の世代は、車を買う時に無条件に 4ドアセダンを買う人が多いと指摘したのである。翻って、還暦を過ぎたばかりの私の世代には、「自分が 4ドアセダンのオーナーになっている姿が想像できない」 という者が多い。
世代論にはあまりこだわるつもりがないが、この点に関しては、現在の 66〜7歳を境に、かなりはっきりと線が引けるのではないかと思うのである。つまり戦後のベビーブームでに生まれた人たちは 「団塊の世代」 と、一まとめにされるとはいいながら、よく見ると、「4ドアセダンしか選択肢のない世代(前期)」と、「4ドアセダンはスルーしがちな世代(後期)」とに分かれるのだ。
私なんかはその「後期団塊の世代」よりさらに 3〜4歳年下だから、「4ドアセダンのオーナーになっている自分」は想像もつかないのである。
これと関係あると思うのだが、最近ふとしたことに気がついた。
世の中には、一見しただけでカツラとわかるような、違和感たっぷりの黒々とした七三分けのヘアスタイルの人がいる。私の印象では、ホテルのフロントマン、学校の先生、中小企業の総務課長という役どころのオジサンに多いように思う。
いや、これは「多かった」と言い直さなければならない。彼らの多くは今では 66〜7歳以上だから、一般的な定年を過ぎてしまっている。ただ、私の中ではどうしても「無条件に 4ドアセダンを買う人たち」と、イメージが重なってしまうのだ。
先日も出張先のビジネスホテルのフロントで、ヅラ以外の何物でもない頭のオジサンと相まみえてしまった。視線をどこに合わせたらいいのか困ってしまうほど、「ありありとしたヅラ」なのである。こう言ってはなんだが、私の世代ぐらいになってしまうと、たとえ頭の毛が淋しくなったとしても、こんな自己主張の強いヅラは、気恥ずかしくてかぶれない。
ところが、このホテルマンの雰囲気をみて気付いたのだが、「七三分けのヅラ」をかぶるのは、多分「スーツを着てネクタイを締めること」と同じぐらい、当然の上にも当然のことと感じているようなのである。
接客を仕事とする以上は、禿げた頭を晒すよりは、きちんとした七三分けの頭で登場するのが、ホテルマンとして当たり前すぎるほどのことなのだ。ヅラがバレバレなのは、それはスーツやネクタイみたいな、いわば「準制服」なのだから、一向に構わないのである。
団塊の世代の中でも年上の世代、まさに終戦直後ぐらいに生まれた世代は、それ以前のオフィシャルな価値観を色濃く引きずっているように思える。そして、それ以後の世代とはジェネレーション・ギャップを生じさせることが多い。むしろ、大正生まれのじいさんたちよりも若いだけ、そのギャップが際立つ。
というわけで、今日の結論。「一見してバレバレの七三分けヅラは、4ドアセダンとよく似ている」のである。
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