昨日の 「性格の違いによるコミュニケーションの難しさ」 という記事に、emi さんからコメントがついた。彼女はコミュニケーションを専攻されているだけあって、この問題はかなり深く考えておられる。昨日の私の記事がわかりにくいと感じた人は、彼女の過去記事「会話のキャッチボール」 に飛ぶといいかもしれない。
で、emi さんは、性格の違いを理解して言葉のキャッチボールでの軋轢を減らすのは、これもまた性格の違いによって、できる人とできない人がいるとお考えのようで、次のようにコメントされている。
タイプの違い(球種)を理解して対応し、キャッチボールを成立させようとするのは名捕手の素質だと思うのですが、4タイプのうちでそれを持ち合わせているのは、論理派(直球型)だけのような気がします。いかがでしょう?
うぅむ、よく考えてみると、これは確かに言えるかもしれない。それはそもそも、「タイプの違い」を客観的に、つまり「好き/嫌い」の感情を加えずに理解して、それに対して対応しようとすること自体が、「論理的な行動」であり、感情型の人間には苦手なことだろうからだ。
論理型の人間は、「理屈に合うか/合わないか」が基本的な判断基準だが、感情型の人間は、「しっくりくるか/こないか」で判断する。それで感情派は論理的な話を聞かされても、それが「しっくりこない」という場合には、「それは理屈としては正しいんだろうけど、誰も喜ばないよ」と思いがちだ。
そんなわけなので、「ぐずぐず言ってないで、理屈に合うなら粛々とやるだけのことでしょ」と主張する論理型の人間が、「人の心を理解しない冷たいやつ」に思われてしまう。それで、「あいつ、はっきり言って、大嫌い」ということになりがちだ。
自分が最も大切にする「人情の機微」的なことをいとも簡単に軽んじるのだから、ただでさえ「好き/嫌い」で判断しがちな感情型としては、当然のごとく、何のてらいもなく「大嫌い」という烙印を押してしまうのである。で、その「大嫌い」なやつと協力するなんて、「死んでもいや」ということになる。何しろ、「大嫌い」なのだから。
ところが、スマートに生きるのが信条の論理型人間は、そもそも喜怒哀楽の感情には乏しい傾向があり、ましてや「好き/嫌いなんていうどうでもいいファクター」で物事を判断する人間がいるなんてことは、到底信じられない。
だから、「あいつ、もしかして俺のことを嫌ってるのかな?」なんてことを薄々感じながらも、あまり気にしないように、努めて冷静に接しようとする。彼にとっては好きだの嫌いだの、気に入っただの気にくわないだのというのは、論理的正当さの前には「極々些細なこと」なので、感情型の人間にとっては、それが何よりも重大なことだなんて、想像もつかない。
というわけなので、自分を嫌っているらしい感情型の人間に対して、「だったら俺だって、お前なんか大嫌い!」なんてことには、決してならない。「あいつ、どうも苦手だなあ」とは思っても、論理を尽くせば理解してもらえると思っているから、「大嫌い!」に至る発想がないのである。なにしろ、論理は絶対だから。
ところが感情型の人間としては、大嫌いな論理型の人間が、自分に対して嫌な表情も見せずに極めてクールに接してくるのを見るだけで、「こいつ、なんて偽善的なやつなんだ!」と、ますます大嫌いになる。
まして、その大嫌いな偽善者が、「よく落ち着いて考えてみてください。どう考えても、この結論にしかならないじゃないですか」なんて言い出すと、「その言い方が気にくわない!」ということになって、ますますこじれる。これでは両者の間で、まとまる話もまとまらない。
とどのつまりは、感情型は論理型を「口先だけでうまいことを言う、世間知らずの偽善者」として嫌い、論理型は感情型を「あいつは頭が悪いから、枝葉末節にこだわって、大筋を理解しようとしない」なんて、匙を投げてしまう。
そういうわけで、自分が論理型の傾向が強い(とはいえ、土壇場で突然「直観型」にジャンプしてしまうのだが)と認識している私としては、とくに日本の実社会においては、論理派は生きにくいと思っている。
それは、論理型としてずいぶん割を食ってきた経験則からきている判断である。私はずいぶん早い段階で、「感情型の人間って、そういうものなんだ」と理解したので、なんとか大きな軋轢もなく対応してきたが、それを知らない論理型の人間が感情型の上司に振り回されたりすると、ものすごいストレスで神経症になってしまうと思う。
論理型の人間からみると、感情派は論理派を「あいつ、気にくわない、大嫌い!」と思っていれば済むので、楽と言えば楽なものだ。一方、論理型は 「コミュニケーションは性格の違いによって阻害される」という事実を理解しさえすれば、「それが理屈なんだから仕方ないね」と割り切って、自分を抑えてでも別の道を探ろうとする。
だが、感情型は「自分がしっくりくるか/こないか」がすべてだから、そんなことはしない。それができるのは、感情的に相性がいい相手を喜ばせてあげたいと思う時だけだ。これがうまくはまると、彼/彼女の周囲(に限って)は、さながら極楽浄土のような素晴らしい雰囲気になる。しかし気にくわない相手に合わせようなんて、死んでも思わない。
だから世の中、声の大きい感情派の方が強くて、理屈はなかなか通らない。それで論理型はいつも、自他共に認める「世渡り下手」になりやすいのである。
これは、論理型人間が学者や評論家みたいな世界に多いが、実業界では思いの外に少ないということをみればわかる。世の実業家の多くは、よく分析すると感情型の要素がかなり強いので、学者や評論家の言う通りのマネジメントなんかしたら、会社が潰れてしまうと思っている。
うまくミックスさせると、とても素晴らしいことになるだろうが、何しろ両者は「水と油」なので、1人の人間の中ではなかなかうまく行かない。奇跡的に両立してしまったら、それはそれで、「スーパーマン」になるよりは「個性のないつまらない人間」になってしまう確率の方がずっと高いだろうしね。
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