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2014年5月17日

論理型の人間には、世渡り下手が多い

昨日の 「性格の違いによるコミュニケーションの難しさ」 という記事に、emi さんからコメントがついた。彼女はコミュニケーションを専攻されているだけあって、この問題はかなり深く考えておられる。昨日の私の記事がわかりにくいと感じた人は、彼女の過去記事「会話のキャッチボール」 に飛ぶといいかもしれない。

で、emi  さんは、性格の違いを理解して言葉のキャッチボールでの軋轢を減らすのは、これもまた性格の違いによって、できる人とできない人がいるとお考えのようで、次のようにコメントされている。

タイプの違い(球種)を理解して対応し、キャッチボールを成立させようとするのは名捕手の素質だと思うのですが、4タイプのうちでそれを持ち合わせているのは、論理派(直球型)だけのような気がします。いかがでしょう?

うぅむ、よく考えてみると、これは確かに言えるかもしれない。それはそもそも、「タイプの違い」を客観的に、つまり「好き/嫌い」の感情を加えずに理解して、それに対して対応しようとすること自体が、「論理的な行動」であり、感情型の人間には苦手なことだろうからだ。

論理型の人間は、「理屈に合うか/合わないか」が基本的な判断基準だが、感情型の人間は、「しっくりくるか/こないか」で判断する。それで感情派は論理的な話を聞かされても、それが「しっくりこない」という場合には、「それは理屈としては正しいんだろうけど、誰も喜ばないよ」と思いがちだ。

そんなわけなので、「ぐずぐず言ってないで、理屈に合うなら粛々とやるだけのことでしょ」と主張する論理型の人間が、「人の心を理解しない冷たいやつ」に思われてしまう。それで、「あいつ、はっきり言って、大嫌い」ということになりがちだ。

自分が最も大切にする「人情の機微」的なことをいとも簡単に軽んじるのだから、ただでさえ「好き/嫌い」で判断しがちな感情型としては、当然のごとく、何のてらいもなく「大嫌い」という烙印を押してしまうのである。で、その「大嫌い」なやつと協力するなんて、「死んでもいや」ということになる。何しろ、「大嫌い」なのだから。

ところが、スマートに生きるのが信条の論理型人間は、そもそも喜怒哀楽の感情には乏しい傾向があり、ましてや「好き/嫌いなんていうどうでもいいファクター」で物事を判断する人間がいるなんてことは、到底信じられない。

だから、「あいつ、もしかして俺のことを嫌ってるのかな?」なんてことを薄々感じながらも、あまり気にしないように、努めて冷静に接しようとする。彼にとっては好きだの嫌いだの、気に入っただの気にくわないだのというのは、論理的正当さの前には「極々些細なこと」なので、感情型の人間にとっては、それが何よりも重大なことだなんて、想像もつかない。

というわけなので、自分を嫌っているらしい感情型の人間に対して、「だったら俺だって、お前なんか大嫌い!」なんてことには、決してならない。「あいつ、どうも苦手だなあ」とは思っても、論理を尽くせば理解してもらえると思っているから、「大嫌い!」に至る発想がないのである。なにしろ、論理は絶対だから。

ところが感情型の人間としては、大嫌いな論理型の人間が、自分に対して嫌な表情も見せずに極めてクールに接してくるのを見るだけで、「こいつ、なんて偽善的なやつなんだ!」と、ますます大嫌いになる。

まして、その大嫌いな偽善者が、「よく落ち着いて考えてみてください。どう考えても、この結論にしかならないじゃないですか」なんて言い出すと、「その言い方が気にくわない!」ということになって、ますますこじれる。これでは両者の間で、まとまる話もまとまらない。

とどのつまりは、感情型は論理型を「口先だけでうまいことを言う、世間知らずの偽善者」として嫌い、論理型は感情型を「あいつは頭が悪いから、枝葉末節にこだわって、大筋を理解しようとしない」なんて、匙を投げてしまう。

そういうわけで、自分が論理型の傾向が強い(とはいえ、土壇場で突然「直観型」にジャンプしてしまうのだが)と認識している私としては、とくに日本の実社会においては、論理派は生きにくいと思っている。

それは、論理型としてずいぶん割を食ってきた経験則からきている判断である。私はずいぶん早い段階で、「感情型の人間って、そういうものなんだ」と理解したので、なんとか大きな軋轢もなく対応してきたが、それを知らない論理型の人間が感情型の上司に振り回されたりすると、ものすごいストレスで神経症になってしまうと思う。

論理型の人間からみると、感情派は論理派を「あいつ、気にくわない、大嫌い!」と思っていれば済むので、楽と言えば楽なものだ。一方、論理型は 「コミュニケーションは性格の違いによって阻害される」という事実を理解しさえすれば、「それが理屈なんだから仕方ないね」と割り切って、自分を抑えてでも別の道を探ろうとする。

だが、感情型は「自分がしっくりくるか/こないか」がすべてだから、そんなことはしない。それができるのは、感情的に相性がいい相手を喜ばせてあげたいと思う時だけだ。これがうまくはまると、彼/彼女の周囲(に限って)は、さながら極楽浄土のような素晴らしい雰囲気になる。しかし気にくわない相手に合わせようなんて、死んでも思わない。

だから世の中、声の大きい感情派の方が強くて、理屈はなかなか通らない。それで論理型はいつも、自他共に認める「世渡り下手」になりやすいのである。

これは、論理型人間が学者や評論家みたいな世界に多いが、実業界では思いの外に少ないということをみればわかる。世の実業家の多くは、よく分析すると感情型の要素がかなり強いので、学者や評論家の言う通りのマネジメントなんかしたら、会社が潰れてしまうと思っている。

うまくミックスさせると、とても素晴らしいことになるだろうが、何しろ両者は「水と油」なので、1人の人間の中ではなかなかうまく行かない。奇跡的に両立してしまったら、それはそれで、「スーパーマン」になるよりは「個性のないつまらない人間」になってしまう確率の方がずっと高いだろうしね。

 

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心と体」カテゴリの記事

コメント

いつも言葉関連の記事を積極的に拝見しています。
本当に興味深く読ませていただいてます。
こちらの記事も興味深かったです。
私も友達と軽い口論になった時にお互い必ず言うのが「性格が違うね」だからです。
私も友達も女で感情の生き物なので、自分で言うのもあれなんですが、私はできるだけ物事を論理的に判断しようと心がけているつもりです。
なので口論になった時に私が長くペラペラ喋っても「それって言い訳だよね」とか「それって人間としておかしいよ」とか言われてしまいます。
個人的にはペラペラ喋った中の言葉に間違いがあれば指摘してほしいのですが、人間としておかしいはともかく、言い訳だと言われてしまうとそこで話が終わってしまいます。どうも噛み合いません。
でもお互い性格が違うのも事実なのですからお互い論理的に、感情的にそれを知れれば「こんな奴だから仕方ないか」となるんじゃないかなと思いました。
それに、感情的な人の考え方を本気で論理的に考えてみると、言葉を間違えてるだけで、もしくは言葉が足りないだけで意外と解釈の違いと思える余地があるものですよ。
もしかしたらこれは女性がよくやる同調のコミュニケーションから来るのかもしれませんが。
例えが長くてすみません。長文で失礼しました。

投稿: 安 | 2014年5月18日 11:08

安 さん:

コメントありがとうございます。

>でもお互い性格が違うのも事実なのですからお互い論理的に、感情的にそれを知れれば「こんな奴だから仕方ないか」となるんじゃないかなと思いました。

まさにそのポイントがこの記事の大きな論点なんですが、感情型の人間は、そのように考えることがなかなかできないみたいなんですよ。

ですから、論理型の人間が考えて、つらつらと解決策みたいなことを述べても、感情型の人間はそれに付き合ってくれません。

そもそも理屈は嫌いですから、建設的なものに聞こえず、「それって、言い訳だよね」で、おじゃんです。

>それに、感情的な人の考え方を本気で論理的に考えてみると、言葉を間違えてるだけで、もしくは言葉が足りないだけで意外と解釈の違いと思える余地があるものですよ。

「感情的な人の考え方を本気で論理的に考える」ことができるのは、論理型の人だけで、感情型の人は「論理的な人の考え方を本気で感情的に考える」なんてことはできません。それはそもそも矛盾です。

論理的な人が 「感情的な人の考え方を本気で論理的に考え」て得られた結論に沿い、こう言ったとします。

「私たちが争ってきたのは、単なる『解釈の違い』の問題で、突き詰めれば、二人とも同じことを言っているんじゃないか」

しかし感情型の人間にとっては「大筋の理屈」なんかよりも「細部のニュアンスがしっくりくる」ということの方がずっと大切なので、こう言い返します。

「あなたは口先が上手だから、そんなふうに言いくるめようとするけど、全然同じなんかじゃありません!」

同調圧力の強い集団では、論理がまともに論理として機能しませんから、論理型人間は「あいつ、口先だけの言い訳ばっかり!」と言われかねません。

論理型の人間は、二度と同じような行き違いを生じさせないために、筋道を論理立てて整理し、冷静に問題点を突き詰め、相手にも「これからはお互いに、こんなところに気をつけようよね」 と説明しようとします。

ところが感情型の人間にとっては、それが「言い訳」や「余計な繰り言」にしか聞こえないのです。

それどころか「責められてる」と受け取られて、逆ギレされたりします。いや、論理型は決して責めているわけじゃないので、「逆ギレ」ってわけじゃなく、一方的に切れるわけなんですが。

感情型にとっては、「論理だった筋道」なんて、全然意味がないことなので、「過ぎたことで、何を今さらくどくど言ってるの! だから、あんたなんか嫌いなのよ!」 ということにしかなりません。

感情型にとっての一番「気持ちのいい整理のつけ方」 は、「さっきはごめんなさい。あなたとの友情は大切にしたいから、許してね」と、心から言ってもらうことで、それで本当にすっきりするみたいなんです。

しかし、論理型にとっては、それでは大切な問題を棚上げしてるだけになるので、全然すっきりしませんよね。

投稿: tak | 2014年5月18日 14:31

突然でたいへん恐れ入ります。他に連絡方法が見当たらないので、関係のないコメントになりますが、こちら使わせていただきました。お気に障りましたら、大変申し訳ありません。

以前、ディスプレイを低い位置に置きたいというエントリを書いておられました。私も同様の事をずっと思っていましたが、そうしたスタンドを探しましたが、ありませんでした。今回見つけたため、自分で使用する他、販売を始めました。ほぼ完全に水平まで仰角の調整が可能です。http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u65530437
またはyahooオークションで「モニター 水平」で検索すると出るはずです。

ご興味ありましたら覗いてみてください。

投稿: apple | 2014年5月18日 18:59

apple さん:

>以前、ディスプレイを低い位置に置きたいというエントリを書いておられました。

こちらですね。
http://homepage3.nifty.com/tak-shonai/bitsophy/bit_026.htm

ご紹介のページにも行ってみました。
私の理想としては、キーボードを置くテーブル面よりさらに低いところにディスプレイがあるというのを考えています。

つまり、ディスプレイスタンドではなく、デスクそのものの段階から新しいデザインのものが欲しいのです。

とはいえ、最近は MacBook Pro に乗り換えてしまいまして、このマシンのディスプレイを目一杯開くと、キーボードより低いというわけではありませんが、かなり理想の位置関係に近くなります。

また、Retina ディスプレイですので目にも優しく、一応満足しています。

いずれにしても、情報、ありがとうございました。

投稿: tak | 2014年5月18日 21:05

そうですか。

>ディスプレイに対面するという現在のコンセプトは、コンピュータというものがまだ特別のマシンであった頃の名残としか思えない。紙の上に手書きで作業するという、人間の慣れ親しんだ姿勢から考えれば、常に指先を見下ろして作業するというのが最も自然

>IT業界というのはハードとソフトのことばかり考えていて、人間工学というものに無頓着すぎる。

この辺り非常に同感するところです。ガラステーブルの下にモニター置いたらどうかなどと言う事も考えたことがあります。

いずれにしても見て頂いてありがとうございました。また現在、それなりに満足できる環境で作業できるようになられたようでよかったです。

投稿: apple | 2014年5月18日 21:19

おぉぉ、取り上げていただきありがとうございます:)

この機会に件の記事を読み返し、それから3年以上も経つのに私のキャッチボールスキルはまだまだだなぁと反省していました。tak さんの“割を食った”ご経験(笑)になぐさめられたような気分です。

3年前からの変化としては、すっきりしないままやり過ごすこと、暴投や捕逸などに対していくらか寛容になってきているかなというところです。どうやらこの路線でさらに修行を積むのが“建設的”のようですね。

投稿: emi | 2014年5月19日 00:08

Apple さん:

まさに、IT 業界の人間工学への無頓着さにはイライラすることがあります。

テンキーが右側にあるフルキーボードというのも、MS-DOS 時代からの遺物で、右手でマウスを使うのが当たり前の今は、テンキーが左側にある方が使いやすいです。

とくに Excel を使うときなんかは、右手のマウスでセルを指定し、左手で数字を入力することができ、いちいち持ち帰る手間がいらないので、快適そのものです。

ただ、私はしばらく左側にテンキーのあるキーボードを使っていましたが、これも今では製造中止のようで、入手不可能です。
(下記 URL 参照)

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2011/08/7-8e00.html

現在は、MacBook の左側に外付けテンキーを置いています。これに慣れてしまうと、右側にテンキーを置くなんて、愚かしさの極みに思われます。

投稿: tak | 2014年5月19日 09:25

emi さん:

こちらこそ、重要なヒントをありがとうございました。

>3年前からの変化としては、すっきりしないままやり過ごすこと、暴投や捕逸などに対していくらか寛容になってきているかなというところです。どうやらこの路線でさらに修行を積むのが“建設的”のようですね。

まさに、気付いた者がやるしかないですからね。これもまた、empathy の修行と思えばいいかもしれません。

投稿: tak | 2014年5月19日 09:32

本当のキャッチボールのほうは 運動神経が皆無なため 変化球どころか 相手まで届かないことが多いので どうしてもボールを投げなきゃいけないときは アンダーで ゴロをなげるのですが、コミュニケーションのほうはそうでもなくて、あまり割をくったという経験はありません。(まわりが合せてくれてるってことでしょうかね。)
なので ここでいう 感情型の人とも 論理型の人とも比較的対話できるのですが、ちょっと難しいのは「自分は論理的 だと思っている感情型の人」ですね。 論理の皮をかぶせながら感情的にも納得させなきゃいけませんから なんとも面倒。
その点 純粋に感情型の人は 自分と近いせいか とっても簡単。 「好きだから好き」「嫌だから嫌」の世界なので何も考えないですみます。 「そっかぁ おまえは嫌いか。 俺はすきなんだがなぁ。 どうだ 一遍だまされたと思って、、」の世界。
純粋に論理型の人ってのはあまり見たことがないですが TAK さんのおっしゃる通り きっとそれはそれで簡単でしょう。(私が感情型なので 彼等を困惑させるってところはあるでしょうが 自分が困るわけじゃない。 笑。)
残るは 直感型と感覚型ですが、、、彼等の場合は コミュニケーション自体を必要としないので それはそれでいいのではないでしょうか。

投稿: Sam_Y | 2014年5月21日 23:46

Sam_Y さん:

>ちょっと難しいのは「自分は論理的 だと思っている感情型の人」ですね。

一番難しいですね。
案外多いんですけどね。そういうタイプ。

投稿: tak | 2014年5月22日 00:58

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