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2014年5月16日

性格の違いによるコミュニケーションの難しさ

コミュニケーションはよくキャッチボールに喩えられる。キャッチボールの基本は、相手の受け取りやすい素直な球を、一番受け取りやすい胸元に向かって投げてやることだ。お互いにそうすることによって、スムーズなキャッチボールができる。時々コントロールを誤って、とんでもない球を投げてしまうこともあるが、それはそれで、自分がミスしたのだとわかる。

ところがコミュニケーションでは、キャッチボールで当たり前のことが当たり前に運ばない。一番受け取りやすい素直な球を、相手の真っ正面に向かって投げてやったつもりなのに、相手はまともに受け取れなかったりする。それどころか、「どうして、そんな変な球ばかり放ってよこすんだ?」などと、思いがけないことを言われたりする。

こうしたことが生じるのは、お互いの思考メソッドが違うからだ。例えば論理思考派が、かなり感情的な相手にものごく冷静なボールを投げると、相手にとってははっとするような剛速球に感じられて、「わざと意地悪な球を投げるやつ」と思われたりする。

逆に、感情的なファクターを重視して物事を判断するタイプの人間が投げる球は、論理タイプの受け手にとってはものすごく不規則で面倒くさいタイミングに感じられて、受け取りにくくてしょうない。「もう少し、素直な球を投げられないの?」ってなことになる。

論理的な人間と感情的な人間というのは、水と油である。論理的な人間の判断基準は、「理屈に合うか、合わないか」ということで、感情的な人間の判断基準は、「好きか、嫌いか」である。

これでは、お互いに相手の思考メソッドが理解できない。感情派は論理派を「口先だけのやつ」と思い、逆に論理派は感情派を「どうでもいい枝葉末節のニュアンスにばかり気を取られてるやつ」と見なしがちだ。

世の中には、「自分は理屈で考えている」と思い込んでいるだけで、実は「好き嫌い」で物事を判断している人間というのが、かなり多い。こう言っちゃなんだが、巷で「できるタイプ」と言われる女性の中には、物事を理屈よりも好き嫌いで判断する感情派が、実はかなり多かったりする。

「どうしてウチの上司にはまともな理屈が通じないんだ?」と不満をもらす人が多いが、その理由は簡単だ。その上司は「感情型」の人間なので、論理一辺倒のプレゼンには非人間的な冷たさばかり感じて、「世の中、そんな理屈通りに行かんだろ」と反発が先に立ってしまい、どうしても共感できないのだ。

もっと情感に訴えるやり方をすれば、簡単にころっと落とせるのだが、不幸なことに、それは論理型の人間の最も苦手とするところである。田舎のじいさんの寄り合いじゃあるまいし、そんな馬鹿馬鹿しいことに労力を割くなんて、信じられない。だから実は感情派の多い世間では、論理型は「世渡り下手」になりがちだ。

その一方で、「感覚型」というタイプもある。純粋芸術的な美的センスを重視するタイプと職人タイプとがあるが、どちらも細かいことでも理屈抜きに、「そういうものだ」で納得できてしまう。「美しくて心地よいか、不細工で鬱陶しいか」が判断基準なので、理屈や感情みたいな面倒な要素にはあまり興味がなく、大抵スルーしてしまう。

芸術家や職人肌の人たちが、理屈と感情がとぐろをまいてどろどろになった俗世間から距離をおき、別の世界で別の価値を追求していられるのは、そのためである。

職人タイプの人間だと、複雑な設計図や分子式でも理屈抜きで写真のごとくに頭にすっと入ってしまうので、論理の世界と思われがちな科学技術者の中にも、こうしたタイプがかなり混じっている。彼らはルーティン・ワークは大いに得意だが、独創的なことは案外苦手だったりする。

こうしたタイプは「何とか技術研究所」とかのスタッフだったりしても、自分のやっていることは「ごく当たり前」と思っているだけで、必ずしもきちんと論理立ててやっているわけじゃないので、自分の専門分野を門外漢に説明するのが、ものすごく下手だ。そのことについては、"「文系/理系」と「論理的/感覚的」" という記事で、過去に触れた。

一方、独創的なことが得意なのは、「直観型」と言われるタイプだ。理屈も情感も感覚もへったくれもなく、突然のインスピレーションでとんでもないことをやってしまう。だから、直感型の投げる球ほど受け取りにくいものはないが、うまくはまるとものすごい「魔球」になったりする。

とびきり個性的な芸術家やデザイナーなんかは、フツーは「感覚派」と思われがちだが、本当は「直観型」であることが多い。だから、純粋な感覚派には耐えがたいような「一見不細工に見えてしまうようなもの」でも、自信満々に発表したりする。

その意味で感覚型と直観型というのも、実は水と油である。感覚派からみた直観派は「突飛すぎ」で受け入れがたいし、直観派からみた感覚派は「フツーすぎ」で、おもしろくもなんともない。

と、ここまで述べたのはユングの性格分類説に基づいて、私なりの経験からくる知見を交えて言っているのだが、実際のコミュニケーションを行う際にこうしたことに気をつけると、余計な軋轢を避けることができたりする。私なんぞも、感情型の人間と付き合わなければならない場面でこれを知らなかったら、ものすごいストレスだろうと思う。

まあ、本当は上述の 4タイプがそれぞれ 「外向的/内向的」 に細分化され、さらに、各要素がいろいろな比率で混じり合って出現するので、かなり複雑で、到底一筋縄ではいかないのだがね。

 

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心と体」カテゴリの記事

コメント

タイプの違い(球種)を理解して対応し、キャッチボールを成立させようとするのは名捕手の素質だと思うのですが、4タイプのうちでそれを持ち合わせているのは、論理派(直球型)だけのような気がします。いかがでしょう?
(過去に書いた似たような話がありますのでご参考までに貼っておきます。)http://emisblog.exblog.jp/11948734/

投稿: emi | 2014年5月16日 03:46

emi さん:

「会話/キャッチボール」の emi さんの記事は、かなり具体的でわかりやすいですね。

私の今回の記事とは、切り口がちょっと別のようでいて、内容はかなり重なりますので、私の記事がわかりにくいと感じた人は、emi さんのページに飛ぶことをオススメしたくなるほどです。

>タイプの違い(球種)を理解して対応し、キャッチボールを成立させようとするのは名捕手の素質だと思うのですが、4タイプのうちでそれを持ち合わせているのは、論理派(直球型)だけのような気がします。いかがでしょう?

よく考えてみると、それは言えるかもしれませんね。

「理屈に合うか/合わないか」 よりも、「感情的にしっくりくるか/こないか」を大切にするタイプは、「多分、それが正しいんだろうけど、でも、そんなこと誰もできやしないよ」 と思いがちで、「理屈に合うなら、粛々とやるだけのことでしょ」 というタイプが 「ものすごく 『非人間的な冷たいやつ』 に見えますから、「あいつ、はっきり言って、大嫌い」 ということになりがちです。

ですから、そいつに合わせたものの言い方をするなんて、「死んでもいや」 です。何しろ、「大嫌い」 なんですから。

そして、自分としては大嫌いな論理派が、自分に対して努めて冷静に接しようとしているのを見るだけで、「こいつ、なんて偽善者なんだ!」 と、ますます大嫌いに思える方向に行ってしまいますから、なかなか大変です。

ですから、私としては、論理派の方が割を食う場面の方がかなり多いと思っています。「相手はそういうタイプだから、仕方ないんだ」 ということがわからなかったら、ものすごいストレスになって、神経症にもなりかねません。

感情派は 「あいつ、大嫌い!」 と思っていれば済むので、楽と言えば楽なものです。だから世の中、声の大きい感情派の方が強くて、理屈はなかなか通りません ^^;)

とくに日本型のウェットな社会では、論理型はいつも 「世渡り下手」 です。

投稿: tak | 2014年5月16日 12:02

tak-shonaiさんおはようございます~
私は引越ししてから若い夫婦と過ごすことが多くなりましたが
どんなことが起ころうと、自分の子供達や孫たちほどにはできなくても、
《大きな愛で包んで行く》と決意していましたが
最近の私は胸の中が真っ暗です。
むずかしいです・・・・・・・・・・・・
むずかしいです・・・涙涙涙・・・・・・・・

投稿: tokiko6565 | 2014年5月17日 07:40

tokiko さん:

やんわり突き放すのも、愛の現れですよ。

投稿: tak | 2014年5月17日 21:49

私の身近には何型か不明だが、こっちが論理的に話を進めいていくと「そりゃ、分かるんだけど、むにゃむにゃ…」といって納得せず、自分の訴えたいことは「こっちの立場の分かってくれ」としか言わない人間がいます。
どう接したらいいのか。疲れます。私の知恵が足りないのか。

投稿: ハマッコー | 2014年5月17日 23:47

tak-shonaiさんおはようございます~
すばらしいアドバイスありがとうございました。
感謝でいっぱいです。
ちょっと気分が晴れました~~
そうか、
つきすぎていたのか・・・・


投稿: tokiko6565 | 2014年5月18日 07:50

ハマッコー さん:

私の経験からすると、立場主義の人には何を言っても無駄です。自分の役目は、新規のことを通さないフィルターとなり、旧来のルーティンワークに徹することだと思っていますから。

どうしても通したい事案がある時は、そのフィルターを避けて通じさせる大きなバイパスを作ることです。

その際には、後で「俺は聞いてない」とか「きちんとラインを通せ」とか言わせないように、自然に広く浸透させることです。

ある時、さらりと、「だって、みんなそう思ってますよ」と言っちゃえば、簡単にうまく行きます。なにしろ相手は、大勢に従うのがポリシーみたいなものですから。

これを日本社会では「根回し」なんて言いますが、私はこの言葉はあまり使いたくありません。

むしろ 「積極的にまわり中から藪をつついて、幸運のヘビを出す行為」だと思っています。「意図的やぶ蛇」 とでもいいましょうか (^o^)

論理型の人間にとっては、面倒で鬱陶しいプロセスで、ばかばかしく感じてしまいますが、いざという時にはこんなことでもしないと、まともなことが通りません。

投稿: tak | 2014年5月18日 09:48

tokiko さん:

「仏心とは四無量心これなり」と言われまして、四無量心とは「慈悲喜捨」の四つの心です。

慈: いつくしむ心
悲: あわれむ心
喜: 他の喜びを我が喜びとする心
捨: さらにそれらを捨てる心 (執着しない心)

愛は強く現しすぎてもお互いに負担なので、捨てちゃうことも必要なんですよね ^^;)

投稿: tak | 2014年5月18日 09:59

tak-shonaiさん
さらにさらに
ありがとうございました。
最後の《捨》いいですね~~!!


投稿: tokiko6565 | 2014年5月18日 14:39

tokiko さん:

最後の 「捨」ができたら、もう覚者ですよ。
でも、tokiko さんならできるかもしれません。

投稿: tak | 2014年5月18日 21:06

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