スタートメニュー復活は、2015年の Windows 9 からになる?
Microsoft は Windows のスタートメニューを復活させる方針を打ち出しているが、それが実現されるのは現行の Windows 8 の中ではなく、2015年に展開開始される Windows 9 からとなるのではないかとの見通しが打ち出されている。(参照)
どうやら Microsoft は Windows 8 で打ち出した、あの「スタート画面」の失敗を認め、Windows 7 ライクなデスクトップに回帰する方向にあるようなのだ。Windows 8.1 によってスタートボタンは復活させても、それは子供だましのようなもので、スタートメニューまで復活されてはいなかったのだ。
PC と タブレットを同じ OS で運用するというコンセプトにはやはり無理があるようで、PC 上での操作が行いやすいユーザー・インターフェイスの方が、現状では優先されるべきとの認識の上に立ったようなのである。
それはあまりにも当たり前すぎると言わざるを得ない、Windows ユーザーの多くが、タブレットではなく PC 上で動かしているのだから、タブレットを重視して PC での扱いを面倒にしてしまうというのは、愚かしいにもほどがあるというものである。
私はあまりにも使いにくい Windows 8 はマーケティング的にみて完全な失敗であるという記事を、これまでに何度か書いたが、それに対する批判的なコメントも、お約束のようについた。いわく、「自分には使いやすい」「使いにくいんじゃない、新しいことに挑戦しようとする意欲がないだけ」「文句言ってんのはじー様達でしょ」 等々。
こんなことだからこそ私は、総まとめ的に書いた記事のタイトルを 「Windows 8 を高評価するのは、PC 大好き人間に限られる」としたのである。「PC 大好き人間」とは、上記のごときお約束的ステロタイプのコメントを寄せた人たちのことである。
いうまでもなく、Windows 8 のマーケティング的評価における問題は、一部の「PC 大好き人間」に歓迎されるかどうかではなく、PC が大好きなわけでもなんでもない大多数のユーザーに受け入れられるかどうかなのだ。そこにこそ「マーケティング的な成功/失敗」の評価の分かれ道がある。
そして、Windows 8 の失敗の最も根源的な要因は、「PC 大好き人間」が「PC 大好き人間」の感性と理屈で作った OS であるということである。MS-DOS 時代じゃあるまいし、今日の PC ユーザーは、PC が好きで使っているわけじゃなく、単なる仕事の道具として使っているだけなので、そうした OS には全然馴染めない。
Microsoft も、CEO が変わってようやくそのことに気付いたらしく、車で言えば、イグニッション・キーとアクセル、ブレーキのペダルの位置が変わってわけがわからなくなってしまっていたものを、やっと元の位置に戻して、せめて動いたり止まったりすることだけでも元の慣れた感覚でできるようにする方向にあるようなのである。
これによって、Windows のバージョンはまともなものと駄作が一つおきに交互に出現するという伝統は、しっかりと守られるようなのだ。ただ、Windows 8 の駄作ぶりは、過去の ME や Vista と比較しても、圧倒的にひどすぎたと思うのである。
私は先々月に書いたように、仕方なく自分の Macに Windows もインストールしようかと思っている(参照)のだが、それは来年になるまで待ってもいいようなのだ。
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