右側の人のステロタイプ発言について
NHK 経営委員で作家の百田尚樹氏が講演会で「日教組は日本のがん」などと発言したという。公演後の質疑応答で日本の教育に対する考えを問われ、持論を展開したものらしい。
毎日新聞によれば、「日教組は何十年間も、純粋無垢な子どもたちに贖罪意識を教え込んでいる。まず 『日本は素晴らしい』 ということを教えなければいけない」「日本人でいることが恥ずかしいと教え込まれた子どもたちは立派な大人になれない」などと主張されたというのである。
私としても日教組のやり方は問題ありすぎと思っているが、だからといって「日本は素晴らしいと教えなければならない」という主張には、個人的には最近とくに違和感たっぷりである。
教育現場でまず「結論ありき」的に、ことさらに「日本は素晴らしい」なんて言われたら、私のようなへそ曲がりは、必ず反発すると思うのだよね。それよりも、ただ日本文化をきちんと教えたら、少なくともそのユニークさは理解される。
言うまでもなく、日本文化のみが素晴らしいというわけではないが、そのユニークさは世界でも本当に貴重なもので、その点に関しては大いに自信を持っていい。私としては「天皇制」というものを含めて、自信を持っていいと言いたいわけなのだがね。
問題は、その貴重な日本文化をきちんと教えられる者がとても少ないということだ。これをきちんと教えられないから、押しつけがましく「日本は素晴らしい」などと言わざるを得ないことになる。しかし口先だけで「日本は素晴らしい」などと言っても、どうして素晴らしいのか説明できなければ、単なる空論ではないか。
さらに言ってしまえば、「日本は素晴らしい」と声高に言っている人でも、日本文化の理解度は、最近の若い連中とほとんど変わらなかったりするのが、本当に情けないと思うのである。なぜ素晴らしいのかわからずに、単に「素晴らしい」と叫ぶのは、ちっとも素晴らしい行為じゃない。
調和を尊ぶ日本文化の中にありながら、ことさらに口汚くヘイトスピーチを繰り返す、ネット上の一部の傾向というのも、私には理解できない。あんなことを繰り返していて、「日本は素晴らしい」などと言っても、説得力がない。
私の心の中にどうしようもなく生じる違和感は、「日本国憲法は米国から押しつけられたものだから、改憲しなければならない」というステロタイプな言い方への違和感と、かなり共通している。言ってしまえば、ステロタイプの右側の人への違和感である。
私としては、日の丸のシンプルさはこの上なく素敵だし、『君が代』は国歌としてだけでなく、掛け値なしに名曲だと思っているのだが、ステロタイプな右側の人たちの言い方に関しては、そこはかとなく「やだなあ」と思ってしまうのだよね。こういう人たちと一緒にお酒飲んでも、つまらないだろうなあと。
5年半ぐらい前の記事で書いたように、私は「伝統的保守派」である割には、政治的にはややリベラルであったりもするのだよね(参照)。こんなのは、国際的な目で見ればごくフツーだったりすると思うのだが、日本という国ではなかなか居心地のいい席が見当たらなくて、苦労している。
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コメント
日教組が贖罪意識を子どもたちに教え込んだ、と主張する人には、「はい、ではどうぞ2次方程式の解の公式を言ってください」と(相手によっては「古文の助動詞をひととおり挙げてください」でも可)。
教師が「教え込んだ」ことが定着しているわけないんですよ。
「2次方程式の解の公式はすぐには言えないけど、理屈は覚えているからここで導くことはできるかも」という人もいると思います(私もそうです)。そういう人は、「贖罪意識」についてもどういう前提からどのような理屈で導かれるのかを説明できると思います。それを否定するにせよ肯定するにせよ。
投稿: 山辺響 | 2014年6月23日 09:58
山辺響 さん:
>教師が「教え込んだ」ことが定着しているわけないんですよ。
自分の気に入らないことは、すべて憲法や日教組のせいにするのが、多くの右の方の人の (いや、右の方に限らないか) 方法論ですが、「そんな単純なもんじゃないだろうよ」 との一言で済んでしまうように思えるんですがね。
投稿: tak | 2014年6月23日 14:46