信心はキャッチボール
ウチの産土神社(うぶすなじんじゃ)は大己貴命と少彦名命を主祭神とし、本社は茨城県稲敷市阿波の大杉神社であるとされている。大杉神社の主祭神も、当然ながら大己貴命と少彦名命である。で、大己貴命というのは、大国主命の別名であるとされる。要するに、大国主命と少彦名命ということである。
だが、大杉神社というのはなかなか奥の深いところのある神社で、この二柱の神は1241年 (仁治2年) に京都の今宮神社から勧請し合祀したのだというのである。じゃあ、その前の祭神は誰なのかというと、神社の名前の通り、大きな杉の木であったらしいのだ。Wikipedia に、次のようにある。(参照)
大杉信仰が、祭神を定め、社または祠の形を取ったのは、僧勝道の疫病治癒祈願が契機という。神護景雲元年(767年)、勝道が下野国日光への道中、当地を訪れ、蔓延していた疫病の退散を巨杉に祈願した。すると三輪明神が現れて蔓延が収まったので、祠を造立して大杉大明神として奉斎したという。
で、その遙か前から民間信仰的に拝まれていたのは、「あんばさま」という神様であったらしい。この神様、由緒正しい神社本庁にあるような系統、つまりアカデミックな筋道ではよくわからないが、Goo 辞書には次のようにある。
あんば‐さま【×阿波様】
千葉県から東北地方にかけての太平洋岸の漁村で信仰されている神。漁を休んで漁具を浜に集めてこの神を祭り、豊漁を祈る。
これが転じて、水運の神ともなった。水運に使う原始的な舟が、大きな杉の木をくりぬいて造られたからだとも言う。まあ、民間伝承の世界は、ほぼ「こじつけ」でなんとでもなる。
で、その「こじつけ」だが、大杉神社の傍らには「最勝立身出世稲荷神社」というお稲荷さんがあり、さらにその傍らに「勝馬神社」というのがある。この勝馬神社の祭神が「安馬様 (あんばさま)」と言われているらしい。漁村の神様だったあんばさまが、水運の神様となり、さらに馬の神様ともなっている。
この神社も平安時代以来の古い歴史をもっているが、最近は近くの美浦に中央競馬会のトレーニングセンターができたため、そこのスタッフが毎年お参りに来るらしい。なんと、競馬の神様にもなっているわけだ。
どうも日本には、古事記に出てくる由緒正しき神様の他にも、民間信仰の世界から出てきたいろいろな神様がいますらしい。祇園信仰の「牛頭天王」という祭神も、実はよくわからない神様だが、いつの頃からかスサノオノミコトの本地とされるようになった。これもまた、「こじつけ」といえばいえる。
こうした八百万の神様は、人間が神様として崇めるから神様であられたりするのである。言い換えれば、神様は人間の信心の中にあるのだ。信心を尊いものとして保つには、人間の心根が尊くなければならないわけである。
人間の心が尊くなれば、神様も尊くなる。そしてその尊くなった神様が人間の心をさらに尊くする。信心とは、キャッチボールみたいなものかもしれない。
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コメント
おはようございます~
tak-shonaiさんは、いつもお元気でいいですね~
私はこんど買った機械の数値によれば78才だそうだ。
実年齢より6才も年寄りと出たのでがっかりです。
それはおいといて、
私がこの地に引越してきたとき、大きな楠木を見つけた
あとで聞いたら300年ほどは経っているそうだ。
私はその大きな楠木に抱きついて
「楠木さん、私はこの街に引越してきましたよ。よろしくお願いいたしますね」と頼んだ。
そうしたら、急に小さな風が吹いて、足元に枯葉がカラカラカラカラところがって来た。私は何だか答えてくれた気がしました。うふふ
だけど、その後は夫が大病するやら・・・
でも死ななかったし、よしとしませう。
投稿: tokiko6565 | 2014年6月19日 10:38
tokiko さん:
300年も経つと、木にも霊が宿るという説もありますよ。
古木そのものがご神体で、鳥居と注連縄で祀られているのも珍しくありませんから。
tokiko さんがきちんとご挨拶してくれたんで、楠も喜んだんだと思います。
投稿: tak | 2014年6月20日 20:36