木曽路をすべて山の中?
親戚に島崎藤村の『夜明け前』の生原稿をパネルにしたものをいただいた。ちょっと昔に、こういうのが流行ったらしい。かなり大きなパネルなので部屋には飾るところがなく、階段の踊り場に飾ったら、結構な趣きになった。
このパネルを眺めているうちに、ふとしたことを思い出した。それは中学校時代のクラスメイトが、「島崎藤村の『夜明け前』は、『木曽路はすべて山の中である』で始まるのではなく、『木曽路をすべて……』で始まるのだ」と言い出したことだ。「嘘じゃない。俺は島崎藤村の生原稿を見たんだから」 と言うのである。
その時は、何を馬鹿なことを言っているのかと思っていたが、長ずるに及んで、藤村の生原稿では、「木曽路は」の「は」の字が、現代普通に使用される、漢字の「波」の字からできた「は」ではなく、「者」という字からできた字を使われているのだと理解できた。下に拡大画像を示す。
ご覧のようにこれが一見すると、現代使われる「を」という字に似ているのである。こちらのブログ でも同じように「木曽路をすべて山の中」と読んでしまって驚いておられる。
ちなみに 2行目は「あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり」の部分だが、「づたひに」の部分も「た」と「に」に変体仮名が使用されている。「た」は「多」、「に」は「法爾自然」(ほうにじねん)の「爾」の字を崩したものだ。そう言われても、現代の日本人にさえ「???」という感覚だが。
いずれにしても、藤村の時代はまだ現代の「ひらがな 50音」が確立していなかったのだなあと、感慨深い。
よくそば屋の看板で、右図のような、わけのわからない字が書いてあるのを目にすることがあるだろう。実はあれは、「楚者」という字を草書体にしたもので、それがそのまま変体仮名となって、「そば」と読ませるのである。「者」で「は」と読ませる字を、藤村は多用しているのだ。
昔は平仮名もいろいろな表記があって、現代一般的に使われる「あ」という字は「安」の草書体からきているが、ほかにも「阿」や「亜」 の草書体からきて「あ」と読ませる平仮名もあったのだ。お汁粉やの看板なども「志留古」という漢字からきた変体仮名を使っている場合が多い。
というわけで、『夜明け前』 の書き出しは、決して「木曽路をすべて山の中である」ではなく、よく知られるとおり、「木曽路は……」で OKなのだ。
ちなみにそば屋の看板は、よく「そむ」 になってしまっていることが多く、私は 3年半ほど前に "「そむ」 って何だ?" という画像入りの記事を書いているので、そちらも参照すれば、わかりやすいと思う。
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