致命的な鈍感さから回復するために
環境省は先月 23日、全国の湿原や干潟がもたらす自然の恵みの経済的価値の合計は、年間約 1兆 4000億~1兆 6000億円に上ると発表した(参照)。これは公的なものとしては初めての試算であるらしく、前々から言われていた湿原や干潟の高い価値がオフィシャルにも認められる形となった。
まだ誤解している人が多いので、念のために書いて置くが、これは「眠っている資産の価値」ではない。つまり、開発によって手に入る価値ではなく、我々が知らないうちに自然が果たしてくれている機能を、経済価値に換算するとこうなるということである。ということは、下手に開発してしまったらその価値は失われるから、しっかりと保全しなければならないのだ。
これまではそれを知らずに、「放っておいたら何の価値もないが、農地や工業用地や観光地として開発すれば金を生む」などと誤解して、どんどんぶちこわし放題にぶちこわしてきてしまったのだ。
注目すべきは、発表されたのは年間の価値であるということだ。もし、全国の湿原や干潟の 10%を失ってしまったら、毎年 1400億〜1600億円が失われるということになり、10年で 1兆 4000億~1兆 6000億円の損失となる。
しかも単なる損失にとどまらず、失われた水質浄化や食料供給の機能を補完するために、その分の投資をしなければならないから、税金の無駄遣いを促進させることになる。つまり、毎年 1400億〜1600億円を失い、それに近い額の金を、毎年毎年使わなければならなくなるのだ。
むやみやたらな開発行為が、自然破壊であるだけでなく、実は莫大な経済損失にもつながるということは、これによっても明らかである。しかも、一度失われた自然を復活させるには莫大な費用と時間がかかるから、永遠の無駄遣いの引き金となる。
環境経済学の視点からすると、国土で最も資産価値の高いのは干潟であり、最も価値の低いのは都会の宅地なのだそうだ。都会の宅地は環境面から見ると、ロス以外の何物も生み出さないようなのである。
環境資産価値のバロメーターは、生物多様性だ。干潟は生物多様性に富んでおり、都会の宅地は、どんなに貧弱な自然でもなんとか生き延びることのできる、しぶとい(言葉を換えれば鈍感な)生物(ネズミとかカラスとかゴキブリとか、人間とか)しか生き延びられないお寒い限りの環境なのだ。
つまり人間は、自分の鈍感さを基準にして開発行為(というか、自然破壊行為)を続けてきた結果、同様に鈍感なネズミとかカラスとかゴキブリとかと共存するしかなくなってしまったのである。なんか悲しいよね。
これは、昨日の記事「田舎暮らしの良さ」を、別の視点から書いたものである。田舎暮らしは、致命的な鈍感さから回復するための感性を取り戻すトレーニングにもなるのである。
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コメント
>つまり人間は、自分の鈍感さを基準にして開発行為 (というか、自然破壊行為) を続けてきた結果、同様に鈍感なネズミとかカラスとかゴキブリとかと共存するしかなくなってしまったのである。なんか悲しいよね。
至言ですね。
このことは、日本中の政治家と行政マンが50年くらい前から頭に叩き込んでおくべきでしたね。
でも人間は鈍感だから痛い思いをしないと分らないのですよね。
投稿: ハマッコー | 2014年6月 3日 22:20
ハマッコー さん:
森林の中に入り、多様な動物と植物に接すると心が豊かになるのは、豊かな環境への憧憬なのだと思うのですよね。
投稿: tak | 2014年6月 4日 09:29
昔から干潟等を埋め立てたら自然が破壊されて、海の生物も少なくなり、結果的に経済が悪化することを知ってて、沖縄では多くの干潟や海が埋め立てられてきました。
最近でも、泡瀬干潟という南西諸島最大の干潟が市と国によって埋め立てられました。
http://www.ramnet-j.org/2013/12/report/1957.html
県民が何を言っても聞き入れてもらえないようで、
沖縄では未だに民主主義とはなっていないようです^^;
投稿: はーまー | 2014年6月 4日 18:06
はーまー さん:
人間は愚かなことを繰り返して、よほど痛い目に遭わないとその愚かさがわからないようです。
代表して痛い目に遭う役どころというのも、悲しいものがありますね。
投稿: tak | 2014年6月 5日 00:56