指先そのものを見て、指さす先を見ない傾向
仏教に「月指す指」という喩えがある。まあ、喩え話だから「指月の喩」ともいう。水に映った月をみて、その美しさに盛り上がっていた弟子たちに、お釈迦様が「本当の存在はあれだよ」と、月を指さして見せたというのである。
ところが、それまで下ばかり見て盛り上がっていた弟子たちは、お釈迦様の指さす先にある月を見ず、その指先だけを見て、「本当の存在は指先」と思ってしまった。翌日になって、民衆の前に出て人差し指を出し、「知れ、これこそ本当の存在」と、大いばりで説教するものまで現れた。
人は往々にして、指さす先ではなく、指先そのものを見てしまう。そして指先そのものを見て理解したつもりになったり、指さす先が見えずに「わからん」と匙を投げたりする。指さされた先を見てきちんと理解するのは、実は少数派だ。人に教えてもらったことを理解するのは、本当に難しい。
指さされた先を見るためには、指さす人と同じ視線にならなければならない。同じ視線に立たないと、指さされた先は見えない。一度同じ視線に立ってしまえば、指さされた先を見るのは容易だ。ところが、同じ視線に立つというのは、実はものすごく難しい。
人の話を理解するには、その前提条件を共有する必要がある。これを比喩で言えば、「指さす人と同じ視線に立つ」ということだ。つまり、人から聞いた話を理解できるということは、実は聞かなくても既にほとんどわかっているということである。
聞かなくてもわかっていること以外は、聞いてもなかなかわからない。だからものごとを理解しようと思ったら、その前提条件をを埋めてしまえば、ほとんど理解したと同じである。
その条件が整わないのに、ただ人の話をきいただけでわかろうなんていうのは、横着のしすぎというものである。
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コメント
tak-shonaiさんおはようございます~
おもしろくて笑っています。
私はこの深遠な記事を非常に卑近なことで
貶めようとしているわけではありませんが・・
先日、レストランで店員さんにちょっと質問したら、
メニューをさして、「ここでございます」と言う。
私は店員さんの手のひらが上を向いているので、
どの指の下を見たらよいのか分からなかった。
「え?どこ?」
「ここでございます」
「え?どこ?」
私は3回目は、聞けなかった。
指を一本にして、ちゃんと指してくださったら分かるのにねぇ。だから適当に頼みました。あああ、馬鹿な私。涙涙涙・・・・・・
人生も大概そうしたものなのでせう。
投稿: tokiko6565 | 2014年6月19日 10:13
tokiko さん:
きっと、その店員さんもわかってなかったんでしょうね。
で、あいまいに応えたと。
責任とりたくないんでしょう (^o^)
投稿: tak | 2014年6月20日 20:32