ローマ教皇が、自然破壊は 「モダンな罪」 と指摘
昨年 3月に新しいローマ教皇が決まった時、私は "「フランチェスコ 1世」 という名のローマ教皇" というタイトルの記事を書いた。その中で、次のように述べている。
マスコミは 「初の中南米出身」 ということを強調して報道しているが、私はそれよりも「フランチェスコ 1世」という名前に注目したい。カソリックで「アッシジのフランチェスコ」といえば、日本では「聖フランシス」という呼び方の方が親しまれていて、「サンフランシスコ」 の地名の元になった人でもあるが、なにしろ中世イタリアにおける最も重要な聖人の一人である。
(中略)
聖フランシスはただひたすら神を讃美し、人間だけでなく神のあらゆる被造物を自分の兄弟姉妹のように愛し、福音を伝えた。ウサギ、セミ、キジ、ハト、ロバ、オオカミに話しかけて心がよく通じ合ったといわれるほどである。そのため、先々代の教皇、ヨハネ・パウロ 2世は彼を「エコロジーの聖人」に指定した。
その 「エコロジーの聖人」 の名を、教皇として初めて名乗られた フランチェスコ 1世は、その本領をかなり発揮し、環境保護を呼びかけておられる。イタリアの農業地帯にある モリセ大学(原文では "the university of Molise" − イタリア語は不案内なのでカタカナ表記には自信がない)における講演で、「自然破壊はモダンな罪」と称したというのである(参照)。
英文記事では、次のようにある。
Pope Francis has called for more respect for nature, branding the destruction of South America's rain forests and other forms of environmental exploitation a sin of modern times.
ざっと翻訳すると、「教皇のフランチェスコ 1世は、自然へのリスペクトが必要として、南米熱帯雨林の破壊などの環境開発を現代における罪と名付けた」ということだ。
ニュースはさらに "Francis said the Earth should be allowed to give her fruits without being exploited" とも伝えている。「地球は搾取されることなくその果実を与えるように、(神によって)創られている」というのである。慧眼である。
「自然は人間によって克服されるべき障害物」とみる西欧的自然観に、転機が訪れているようなのである。
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