負けが見えた時の、ほろ苦さと甘酸っぱさの入り交じった感覚
野球はそんなに好きというわけではないので。甲子園野球も大して興味はもっていないのだが、昨日の昼頃、たまたま明徳義塾高校と奈良智弁学園の試合を途中から見てしまった。両校とも優勝候補にあげられており、1回線での対戦はもったいなさすぎと言われていたらしい。
途中までは接戦で、さすがに強豪校同士の対戦らしい様相だった。この両校ぐらいになると、選手も大舞台に慣れているのが態度でわかる。ようやっとの思いで甲子園出場にこぎつけたぐらいのチームだと、選手たちも少々おどおどしていることがあるが、両校の選手は度胸も据わって堂々としたものである。
7回までは智弁が 1点差を追う展開で、両雄ともに譲らぬなかなかいい雰囲気だった。このくらいの強豪校になると、自分が負けるなんて思ってないから、萎縮せずに伸び伸びとしたプレイができる。なかなかのものである。
ところが、7回裏に明徳が代打 3ランで 4点差とし、さらに加点して一時は 7点差をつけると、相手の智弁がさすがに勢いをなくしてしまい、プレーが緩慢になってしまった。
スポーツの勝負は、体力や技術とともに、メンタル・コントロールが求められる。10回戦ってもせいぜい 6勝 4敗ぐらいの結果に終わりそうな、紙一重の差の勝負だと、最後はメンタルの強さで勝つしかない。ところが、追い込まれてしまうとメンタルはとたんに弱くなる。
私も経験があるが、ある程度勝負が見えてしまうと、リードされている側は「気持ちよく負けるための心の準備」に入ってしまうのである。それは負けて必要以上に惨めにならないための、自己防御本能によるのかもしれない。当然にも無意識の作用ではあるのだが、とにかく、「美しい敗者」になるための準備に入るのだ。
何といえばいいのか、ほろ苦いような、甘酸っぱいような心持ちになってしまい、「俺も、ここまでよく頑張ったよ」なんて思いが、脳裏を駆け巡る。そうなるとアドレナリンの分泌が止まってしまったようになって、それ以上の力を発揮することができなくなるのだ。
智弁学園の、8回からの動きは、最後にホームランが 1発出たものの、まさにそんなような、ほろ苦さと甘酸っぱさの入り交じった感じのものだったように思う。これまで負けたことがあまりない強豪校でも、負けが見えてしまうと、やはりそんなような状態に陥ってしまうのだ。
昨日の試合を見ていて、私には野球の勝負そのものよりも、高校球児たちのメンタルの動きが強く印象づけられてしまったのである。
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