ティム・クックのカミングアウトと 「神」
昨夜、Apple の CEO、ティム・クックが、自分はゲイであるとカミングアウトしたという記事を読んで、その時私は、結構寝ぼけていたこともあって、「ふぅん、そんなような雰囲気は感じてたけど、やっぱりそうなんだ」と思っただけで、それほど大したこととは認識しなかった。これをテーマに自分がブログを書くことになるとも思わなかった。
だから、一夜明けてこんなに大きなニュースとして取り扱われていることの方に、ちょっとびっくりしている。まあよく読めば、カミングアウトの意図が「アップルの CEO が同性愛者だと知ることで、孤独を味わっている人や同性愛者の権利を主張している人たちの力になれればと考えた」(朝日新聞の記事上の翻訳)ということのようなので、それもありかというところだが。
しっかりと確認するために、ネタ元の Bloomberg Businessweek の記事にあたってみると、タイトルは "Tim Cook Speaks Up" (ティム・クックがはっきりと言う)とあるだけで、それ以上にセンセーショナルな見出しはついていない。さすがだね。
上述の部分、原文では次のようになっている。
I don’t consider myself an activist, but I realize how much I’ve benefited from the sacrifice of others. So if hearing that the CEO of Apple is gay can help someone struggling to come to terms with who he or she is, or bring comfort to anyone who feels alone, or inspire people to insist on their equality, then it’s worth the trade-off with my own privacy.
(自分は活動家という認識はないが、他の献身的行為によっていかに恩恵を得たかを知っている。だから、もし Apple の CEO がゲイであると知ることが、自分が容認されるために苦闘している人を支援したり、孤独を味わっている人に慰めを与えたり、平等を主張する人々を鼓舞したりできるのであれば、自分のプライバシーとトレードオフする価値があると考えた)
なるほど、そういうことなら、彼のカミングアウトをしっかりと記事にすることは、単に、「ああ、彼はやっぱりゲイだったんだね」だけですませるよりも、意味があるのかもしれない。
「ふうん、やっぱりそうだったんだ」と、ごく当たり前のように済ませられる社会の方が快適だとは思う。彼の sexal orientation (性的志向性) を知りながら、まったく特別視しないという Apple の多様性をきちんと認める雰囲気は、 その意味ではかなり快適なのだろう。しかし残念ながら、この社会全般は それほどには成熟していない。
とくに米国というところは、同性婚を認める州が増えているとはいいながら、キリスト教的な価値観による縛りが大きくて、ゲイを嫌う保守的傾向が強い。ニューヨークやサンフランシスコなどの自由でリベラルな雰囲気は、米国ではやや特殊なものといっていい。だから、ティム・クックのカミング・アウトは、意味を持つ。
ティム・クックは次のように語っている。
While I have never denied my sexuality, I haven’t publicly acknowledged it either, until now. So let me be clear: I’m proud to be gay, and I consider being gay among the greatest gifts God has given me.
(私は自分のセクシャリティを否定したことはないが、これまではそれを一般に公表したこともない。だから、ここで明らかにさせてもらいたい。私はゲイであることを誇りに思うし、神に与えられた最も大きなギフト(恵み)の一つであると考えている)
この部分が最も肝心なところなのだが、世界のトップを行く IT 企業の CEO が、自分のセクシャリティ、しかも旧来の価値観では否定的であったことを、「神の恵み」と言っているのである。これはある意味、コペルニクス的転回だ。
少なくとも前世紀までは「神の名によって」否定されてきたセクシャリティを、「神の恵み」と讃嘆しているのである。なるほど、これはとても大きな「事件」である。
これは私が先月 6日の "「宗教」と「信心」" という記事で書いたことにも関連する。
日本人は毎年初詣したり、盆や彼岸には墓参りしたり、チャペルで結婚式を挙げたり、死んだら坊さんにお経を読んでもらったりするくせに、「自分は無宗教」 なんて言ったりする。しかし世界では IT 企業のトップが自分のセクシャリティをカミングアウトするのに、「神」を持ち出すのが一番説得力があると考えているのである。
そしてちょっと飛躍するが、イスラム過激派は、近代的な概念による「国境」なんてものよりも、「神」 の名における共同体を上位に考え、それが全世界に隠然たる影響力を発揮しつつある。
無邪気な顔をして 「私、無宗教でーす」なんて言っているうちは、世界を理解できない。
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