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2014年11月 3日

「文化」と「文明」の違いを巡る冒険

今日は文化の日。昔で言えば「明治節」、もっと前の明治時代は「天長節」である。この日は少なくとも関東では、昔から晴の特異日ということになっていて、明治天皇の遺徳と言う人も多いが、果たして、今日もいい天気だった。

今や古典的ともなった文化の日ネタに、「文化と文明の違い」というのがある。私は文化の日でもない一昨年の 2月 4日に「文明と文化の違い」という記事を書いていて、その中で、文化人類学者の梅棹忠夫氏の「文明は腹の足しになり、文化は心の足しになるもの」という言葉を紹介している。

この記事では、「文明は食い散らかすが、文化はその後始末までできる」 という、私自身の考えも述べている。私は 「後始末までしっかり考えるのが文化」 と思っているのだが、今日は文化の日でもあるから、このあたりをちょっと深く考察してみよう。

今日的意味で使われている 「文化/文明」 という言葉は、明治期に "culture/civilization" という言葉が翻訳されて定着したもので、それ以前は、中国の古典に基づき、「文明 =文徳の輝くこと、世の中が開け、人知の明らかなこと」、「文化 = 文徳によって教化すること」というような意味合いだった。

もっとも、それは日本語として定着していたわけじゃない。江戸時代に 「文化」 という年号があるが、それは同様に中国古典から借りた「平成」という言葉を、普通の日本人は平成の御代になって初めて知ったものの、きちんと意味まで理解しているわけじゃないのと同じである。

明治期の翻訳の原語となった "culture/civilization" という言葉の成り立ちをみればすぐにわかるように、「文化」は農耕的な発想がある。"Culture" の語源は "cult"(耕された)+ "ure"(ところ)と言われている。それに対して "civilization" は "civil"(市民の)という言葉から発生していて、古代都市国家からの発想だ。

一見して、civilization(文明)の方がより物質的なニュアンスをもった言葉というのがわかる。これをもう少し別の側面から考察した論文が見つかった。京都産業大学文化学部国際文化学科 中村学氏による "近代における 「文明」 と 「文化」 の誕生とその受容と変化について" というものである。

この中で中村氏は次のように述べている。

「文明」と「文化」とは始めは同じ意味であり、16世紀のヨーロッパで当時の知識階級のごく一部の人々が使い始めた。しかし初めの頃は「文明 civilisation」という言葉しかなく、「文化」という言葉はなかった。「文明 civilisation」は16世紀ごろに使われていたフランス語の「civiliser 開花する、文明化する」の名詞形で、これらの語は全てラテン語の「civilis市民の」「civitas都市」に由来する。

文明 (civilization) に関しては、概ねこの理解で OK だと思う。問題は 文化(culture) である。中村氏によると次のようになっている。

「文化」という言葉はフランス語の「culture 耕作された土地」という意味の語からやがて土地の「耕作」や家畜の「世話をする」といった意味に変化した。そこから能力の育成や精神の修養といった意味まで派生したのである。(同書、p.133) このフランス語の「culture」がドイツの「文化」「文明」の訳語として輸入され 18世紀後半には Kulturと綴られた。しかし最初この Kultur はドイツ知識人たちの間でマナー、反野蛮、進歩の「文明」とも精神の修練、能力の育成、伝統の「文化」としての意味にも用いられており、完全に「文化」としての意味で使われていたわけではなかった。

ちょっとわかりづらい文章だが、要するにフランス語の "culture" がドイツ語に輸入されて "kultur" と綴られ、「反野蛮、文明、伝統」 といった、広いニュアンスをもつ言葉として広まったということのようである。

その後、封建制が長く続いたドイツでは、物質的文明の観点ではフランスに後れをとっていたために、「civilisation というナショナリズム」の代わりに、より精神性を重んじた「kultur というナショナリズム」が発達したというのである。ふうむ、なるほどね。

さて、日本では明治以後の「文明開化」によって、まず物質的文明が導入され、とくに明治初期においては「文明」と「文化」は厳密に区別されて用いられていたわけではなかったようである。区別されるようになったのは、中村氏によれば次のような事情のようだ。

「culture」「Kultur」の訳語としての「文化」が用いられていたのは大正時代に入ってからであった。明治20年代から現れた「日本主義者」なる知識人達の論説で、はじめて「文明」と「文化」との概念が区別された。彼らの「文化」の概念はドイツ哲学の影響を受けていた。

明治期の日本では、まず「物質的な文明開化」が先行し、大正期になってからドイツ哲学の影響で、精神的な意味合いの強い「文化」が初めて強く意識され始めたのだ。物質的なものを必死に追い求めている間は、「文化」は後回しになってしまうのだね。なるほど、なるほど。

こうした経緯があるので、文化は後からやってくるという印象が強まって、私なんかも「文明は食い散らかすが、文化はその後始末までできる」なんて考えるようになってしまったのだろう。

「西洋文明の物まね」的ニュアンスの濃いハロウィーンの行列が通った後の、渋谷の街のゴミの山をあっという間に片付けてしまったボランティアの心意気は、まさに日本的な「文化」なのかもしれない。

 

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