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2014年12月28日

人口 1億人死守という幻想

政府が「人口 1億人維持へのビジョンと戦略」というものを正式決定したのだそうだ。これにより、「50年後に 1億人程度の人口維持」という目標実現に向け、国と地方の取り組みが本格的に動き出すらしい。

具体的なビジョンは、読売新聞の記事によると次のようなことだという。(参照

  • 東京圏への転入超過を解消することを当面の目標に、地方への企業移転を促す税制優遇、農林水産業の成長産業化などで、地方で若者の雇用を 30万人創出し、東京圏転入を13年比で年 6万人減少させ、転出を 4万人増やす。

  • 若い世代が希望通りに結婚・出産できれば、合計特殊出生率 (13年は1.43) が 1.8程度に上昇し、30~40年頃に人口が一定となる 「人口置換水準」 の2.07まで出生率を回復させれば、50年には 1億人程度の人口を維持できる。

個人的には、「東京圏への転入超過を解消」することが人口減少防止にどう役立つのか、急にはよくわからない。都会暮らしよりも地方で暮らす方が、子どもをたくさん作りやすいということなんだろうか。

もしその通りだったと仮定しても、「若い世代が希望通りに結婚・出産」できるようになり、出生率が 2.07まで回復するというのは、 単なる「期待値」に過ぎないとしか読み取れない。

それでなくても、政府が何か新しいことを始める時の裏付けとなる「期待値」というのは、大抵手前味噌な計算に基づくもので、まともに実現された例しがない。本気で受け取ってはいけないと思っている。

そもそも、50年後の日本に 1億人の人口が本当に必要なのだろうか? 人口は国力の基本になると言われるが、21世紀後半の世の中でそれがそのまま通用して、国力維持のためには本当に 1億人の日本人がいなければならないのだろうか?

日本の人口が少なくなった時に、まず必要になるのが語学力だろう。今は日本語で 「そうだよね、本当だよね」 と言い合えるお仲間が 1億 2000万人もいるからいいが、もしこれが半分ぐらいになったら、今のような内向きの姿勢は維持できないから、少なくとも英語は普通に読み書き、会話ができるようにならなければならない。

今は大抵の書物が日本語訳で読めるが、人口が減ったら、翻訳の市場も小さくなるから、原書か少なくとも英訳で読まなければならないケースが増加するだろう。これに関しては、まあ、しょうがないと思っているが、ドメスティックに育ってきた日本人の生活慣習は大きく変化するに違いない。

その結果、客観的な視線で見た日本文化の再認識というのが進むと、私は期待する。外からの視線で見ることによって、日本文化はより純化して新しい次元に進むかもしれない。

人口が減っても日本が滅ぶようなことはないと、私は案外楽観的に思っている。まあ、本当のところはそうなってみないとわからないだろうけどね。

 

 

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