"Je ne suis pas Charlie" (私はシャルリーではない) と言う自由
フランス人って、無批判に他人と同じことを言ったりしたりするのが死ぬほど嫌いな人たちかと思っていたが、今回のデモに 100万人もの人々が "Je suis Charlie"(私はシャルリーだ)というスローガンのもとに集まったのを見て、かなり驚いた。「シャルリー」というのは言うまでもなく、例の風刺漫画を載せた 『シャルリー・エプド』 から来ている。
まあ、この「シャルリー」というのは、あの『チャーリー・ブラウン』から来ているという説もあって、あの要領の悪い、いつもブツブツつぶやいている子どもということなら、まだ可愛げがあるが、『シャルリー・エプド』を直接指しているというなら、昨日の記事で書いたように、私は逆に "Je ne suis pas Charlie" (私はシャルリーではない)と言わざるを得ない。
ブロゴスフィアの中には、「フランスで "Je ne suis pas Charlie" なんて言おうものなら、『イスラム過激派シンパの非国民』扱いされかねない」なんてことを書いている人もいるが、私はそれはないと信じたい。言論・表現の自由を守ると叫ぶなら、 「私はシャルリーではない」という発言をも当然のごとく受け入れなければならない。
「言論・報道の自由」というテーゼについて、昨日も書いたことだが、権力を持つ側があまりにも当たり前のことをことさらに叫び出す時というのは、その裏でかなり複雑なモヤモヤが大きくなっている時なのである。これは一応半世紀以上生きてきた経験で知ったことだ。今回もそうした要素を色濃く感じてしまう。
私は世界を「西欧的近代主義」と「反西欧的ムスリム」の対立の構図に落とし込めたくないと思っているが、下手するとそっちの方向に向かってしまいそうだ。穏健なムスリムの排斥にすらつながりかねないような言論は、慎むべきである。敵でもない者を好んで敵に回す必要はない。
今回のデモに参加した人たちの多くは多分、「私はムスリムへの盲目的反感を抱いているわけではないよ」と言うだろうと信じる。近代主義の限界を超える要素を、西欧文明以外の価値観の中に学ぶというチャンスを自らの手で摘み取り、またぞろ前世紀の価値観に逆戻りするのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。この点に関しては、昨年末の 「イスラム過激派のテロにどう対応すべきか」という記事でちょっと触れている。
で最後に、またしても念のために言うまでもないことを敢えて言っておくけど、私はテロを擁護する立場にある者ではないからね。
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コメント
こんにちは。
"Je suis Charlie" に私も違和感を覚えました。
一企業と言論の自由を直結するなんて、非常に気持ち悪いですね…。
私には、「言論の自由」と言っておけば満足するアホを味方に付けるための世論操作、もしくは「私はインテリよ」と大衆に訴えるための政治家やタレントの手段にしか見えませんでした。
「私はシャーリー」だなんてマスコミが取り上げやすいコピーを利用する人々。
そして「気持ち悪い」と思いながらも自己否定を恐れて反論できないマスコミ。
"Je suis Charlie" を風刺のネタに使ったら、見直してあげないこともないけどね。
投稿: るー | 2015年1月13日 12:57
状況はますます悪化(というか劣化)しているようです。
http://goo.gl/dfpd9E
今後、フランス(人)には「表現の自由」を口にしてほしくない。
Je ne suis JAMAIS Charlie.
(私は絶対にシャルリではない)
投稿: 山辺響 | 2015年1月13日 13:50
自由、平等、友愛、は尊重するが、それよりも上位にアラーの神を信ずるという人々もいるでしょう。
自分たちが信ずる理念が絶対に正しく例外を認めない!という点では、イスラム過激派と同根のように思います。
投稿: ちいくま | 2015年1月13日 14:30
るー さん:
>"Je suis Charlie" を風刺のネタに使ったら、見直してあげないこともないけどね。
やってみました。
https://twitter.com/tak_shonai/status/554994113599123456
投稿: tak | 2015年1月13日 22:33
山辺響 さん:
「フランス人は考えてから走り出す」と言いますが、走り出したら考えないのでしょうかね。
投稿: tak | 2015年1月13日 22:36
ちいくま さん:
>自分たちが信ずる理念が絶対に正しく例外を認めない!という点では、イスラム過激派と同根のように思います。
一見ソフィスティケーティッドされてるように見えるだけ、扱いにくいですよね。
投稿: tak | 2015年1月13日 22:39
10数年前の正月の新聞に、ある無神論者の宗教学者(外国人)が、仏教は宗教と言うより、哲学に近いと述べていました。というのも、仏教は他の一神教と違い、宇宙の理とか法を解くものであって、一つの神を崇め奉るものではないといった内容であったと思います。
今回の「私はシャルリではない」と言いたいという拓さんの主旨に、私は100%同意します。テロに屈するのでも迎合するのでもない、私は表現の自由を盾にあなた方を侮蔑するようなこともしない。そんな人間じゃないよ、というのはもっとも寛容な、仏教の思想に一番近いところにあると思います。
投稿: taro | 2015年1月14日 10:14
tak さん:
ひぃ! 恐縮です。
オランドさんのおとぼけ具合がなごみましたw。
レスありがとうございます。
次号の表紙も参照しました。
確かに火に油を注いでいますね…。
テロには反対ですが、言論による暴力や侮辱も
よろしくないですよね。自戒。
投稿: るー | 2015年1月14日 12:49
taro さん:
釈迦の頃は、宗教と哲学の区別はなかったんだと思います。釈迦はより哲学的なアプローチをしたんでしょうね。それを受け入れる側がより宗教的に受け入れたということで。
>私は表現の自由を盾にあなた方を侮蔑するようなこともしない。そんな人間じゃないよ、
うまくまとめてくださって、ありがとうございます。
投稿: tak | 2015年1月14日 20:10
るー さん:
最新号のイラストは、「ペンは剣より強し」の傲慢な展開かもしれませんね。
投稿: tak | 2015年1月14日 20:11