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2015年1月 6日

丹精してくれた主が亡くなったのを、花も悲しんでいるのか

我が家のお向かいのお宅のご主人が、昨年亡くなった。多分享年 80歳ぐらいだったと思う。奥様はかなり認知症が出ていて、今はどこかの高齢者施設に入っているらしい。一人息子はどういう事情が知らないが、ほとんど絶縁状態で、最近は顔を見たこともない。

というわけで、お向かいのお宅は今、誰も住んでいない空き家状態である。前は時々電話のベルが空しく鳴り続けているのが聞こえることがあったが、今は解約したのか、料金未払いのためなのか、その音も絶えて聞こえなくなった。

この家の垣根は山茶花の木で、毎年晩秋から早春にかけて、ピンクの花がきれいに咲き続けていたが、不思議なことに今シーズンはこの山茶花が一輪も咲かないのである。家の主がいなくなったことが、花にもわかるのだろうか。家に誰もいなくなったことを寂しがって、咲かなくなったのだろうか。

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「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」 (結句は 「春を忘るな」 とのバージョンもあり)というのは、菅原道真の作といわれる古歌で、彼が太宰府に流される時に、「自分がいなくなっても、春になったら花を咲かせてくれ」と願って詠んだといわれている。お向かいの山茶花は、この逆バージョンで、主がいなくなったら、冬を忘れてしまったかのようだ。

丹精してくれた人がいなくなったのを、花も悲しむなどというと、「非科学的」と笑われるだろうが、なんとなくそんなこともあるんじゃなかろうかと、私なんかはつい思ってしまうのだよね。

 

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コメント

確かに、どうして咲かなくなったのか不思議ですね。
咲くためのなんらかの工夫があったのだろうかなどと
考えてしまいます。

道真の和歌に関係する歌では
吾妻鏡にある源実朝の最後の和歌が

出でていなば主亡き宿となりぬとも
軒端の梅よ春を忘るな

というのがあります。陳腐な作風で
これは実朝作ではないことは一目瞭然なんですが
梅の花は実にたくさんの和歌の題材になってますね

投稿: 江草乗 | 2015年1月 8日 15:35

江草乗 さん:

山茶花というのは結構丈夫で、放っておけば咲くものなので、別に工夫していたとは思われません。よしや、特別念入りな手入れをしていたとしても、突然一輪も咲かなくなるというのは、不思議です。

梅の花というのは、実に歌にしやすい花なんだと思います。私も春先にはよく詠んでます。

投稿: tak | 2015年1月 8日 16:04

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