羊を巡る小さな冒険
今年は未年、羊の年なので、羊と比較文化の話をしてみよう。
美、義、善、養など、羊という字を含む漢字には、いい意味のものが多い。というのは、古来大陸では、羊は財産であり、富の象徴だったらしいのである。なにしろ、毛は衣類や住居、敷物などに使われ、肉や乳は貴重な食料である。羊を飼ってさえいればちゃんとした暮らしができたのだ。
だから、羊が大きいと「美」という字になるというぐらいのものである。日本人は明治になって富国強兵に目覚め、軍服の素材のウールを作るために羊を輸入して飼い始めるまでは、羊というものを見たことがなかったので、あまりピンとこないが、羊というのはかくまでも重要なものだったのである。
ユーラシア大陸では生活に密着した動物として、人と羊の関係はとても重要なものだったが、日本では羊に全然馴染みがなかった。それで、日本人は羊を数えても眠れないのである。羊という動物を数えようとしてその姿を想像しようとすると、それだけでかえって能が緊張して活性化してしまうのである。
ユーラシア大陸の人間だったら、羊というのはあのごちゃっと群れをなしたおとなしい動物と知っているので、数えようとしても、そもそもまともに数える気なんか起こらない。だからぼうっとして眠くなる。そんなわけで、英語の羊は単複同形で、複数でも "s" がつかないというぐらいのものなのである。
このあたりのことは、「なぜ、日本人は羊を数えても眠れない? 比較文化学的考察」という文章にしてあるので、お暇なときにじっくり読んでいただければ幸いである。要するに、日本人は案外羊が苦手なのである。嫌いというわけじゃなく、よく知らないのだ。
日本でも岩手の小岩井農場なんかに行くと、羊に直接触れたりすることができる。それで「まあ、可愛い!」なんて言ってぎゅっと抱いたりなんかすると、羊の毛の表面はものすごく脂っぽいとわかる。これは触ってみて初めてわかることで、犬や猫とはまったく感覚が違うのだ。
この脂は「ラノリン」というもので、薬や化粧品に用いられたりする。毛紡績の工場では、脂でべっとりの原毛を洗剤で洗い、紡績機にかかるようにするのだが、この時に洗い落とされた油脂分を、再利用するわけだ。本当に羊というのは、捨てるところがないほどなのである。
羊というのは、島国育ちの日本人がユーラシアの文化に触れるための、重要な入り口になるものなのかもしれない。
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