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2015年3月20日

地下鉄サリン事件からの長くて短い 20年

あの地下鉄サリン事件から、今日で 20年経ったのだそうだ。20年も経つと、記憶がゴチャゴチャになっているもので、私はいつの間にか、自分はほんの数分の差で被害に遭わずに済んだのだと思い込んでいた。

というのは私はあの頃、都心の霞ヶ関近くのオフィスに通っていたことがあって、毎朝地下鉄の国会議事堂前駅を利用していた。そしてオフィスに到着した途端に妻からの安否問い合わせの電話がかかってきて、それで初めて事件を知ったと記憶していたのである。それで自分は間一髪で命が助かったと、神に感謝する思いすら抱いていたのだ。

ところが今日、事件を振り返るラジオ番組で、あの事件は朝の 8時頃に発生したと言っていたので、「あれ?」と頭が混乱してしまったのである。私がオフィスに到着したのは 9時15分頃だったはずなので、自分の記憶がトンチンカンになっていることにようやく気付いたのだ。

よく調べてみると、私は事件の 2年前まで霞ヶ関近くのオフィスに通っていたが、事件の起きた年には転職して神田のオフィスに移っており、地下鉄は利用せず、JR のみで通勤していたのである。それで、オフィスに着くまで事件のことは何も知らなかったのだ。

私の頭の中で時系列的な混乱が発生していたのは、それだけ地下鉄サリン事件が衝撃的だったことを物語る。あまりの衝撃のため、「自分は数分差で難を逃れたのだ」と思い込んでしまったのだ。実際には 2年ぐらいの差で難を逃れたのであり、しかも時間差があるから、転職していなかったとしても地下鉄がストップし、地上に避難させられていたはずだ。

そして改めて驚いてしまったのは、20年前の朝 9時過ぎに神田のオフィスに到着し、妻からの電話を受けるまで、その朝 8時頃に起きた事件について、全然知らなかったということについてである。神田のオフィスでは、その電話をきっかけにしてテレビのスイッチを入れ、「こりゃ、一体どういうことだ!」と、初めて大騒ぎになったのだ。

20年前というのは、それほどまでに情報の伝わるのが遅い、呑気な時代だったのである。今だったら、JR 車内の液晶ディスプレイでほぼリアルタイムのニュースが報じられ、衝撃的な事件で地下鉄が大混乱し、都心での乗り換えができないと繰り返しアナウンスされ、インターネット情報がスマホでどんどん拡散され、Twitter は「謎の毒ガス発生」で持ちきりになっていただろう。

当時のニュースの第一報は、「地下鉄構内で毒ガスのようなものが発生して、乗客に被害が発生し、地上に避難した人たちも苦痛を訴えている」というようなものだった。「テロ」ということにはほとんど言及がなく、あくまで「謎の毒ガス発生」と報じられていたのである。

今だったらとりあえず「テロ」の可能性が取り沙汰されるだろうが、当時はオウム真理教との関連が明確になるまで、テロ事件とは断定されていなかったように思う。この点についても、やはり呑気な時代だったのだ。

思えば Windows 95 の日本語版がリリースされたのはこの年の秋だったから、この頃はまだ、Windows 3.1 なんていう MS-DOS ベースの OS を使っていたのである。インターネットは全然身近なものじゃなく、「パソコン通信」なるテキスト・ベースの通信で満足していた。そして、ガラケーさえ持っていなかったので、妻は私の安否を確認するためオフィスに電話を入れるしかなかったのである。

あの頃、インターネットというものが十分に身近なメディアになっていたとしたら、オウム真理教という団体の怪しい活動はもっとフツーに語られるところとなっていて、当局としても、もっとしっかり監視対象にしていただろうと思われる。それがなかったから、怪しいとわかっていながら、実際には野放しに近い状態になっていたのだ。

こんなことを考えると、この 20年の間に世の中は大きく変わってしまったのだと、ちょっと唖然としてしまうのである。

 

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