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2015年3月17日

「同性パートナー条例」について考える

渋谷区に同性のカップルを家族に準じた扱いにする、いわゆる 「同性パートナー条例」 を制定する動きのあることが、結構な話題になっている。この条例が可決されれば、同性カップルのアパート入居に関する困難や病院での面会を断られるケースを、とりあえずは救済することができるが、それ以上の法的な意味は、今のところなさそうだ。

アパートの入居ということなら、「ルームシェア」ということにしてうまく対処すればそれほどの問題はないだろうし、表立って「同性パートナー」ということにしたために、かえって別の理由をつけて断られるなんてことになりかねないことを、私は危惧する。病院の面会ということなら、わけを話せば何が何でも断られるということもないのではないか。

というぐあいに、私は渋谷区の条例がきちんと期待通りの効果を発揮するかどうかということに、あまり楽観的な見通しをもっていない。ただでさえ LGBT に対する差別があるのに、行政に対して進んでカミングアウトするカップルが続出するとも思えない。

とはいえ、これは小さいけれども大きな一歩であるとは思う。それだけにこの条例に反発する動きもかなり強いようで、下手すると、LGBT の当事者が穏健に(「条例がないよりはいいかも」程度に)賛成するよりも、頑固な保守勢力の「何が何でも反対!」とする動きの方がずっと派手に見えたりする。この類いの問題はいつも、反対勢力の方が額に青筋立てたがる。

客観的にみれば、同性愛者の権利が認められても、それによって異性愛者の権利が侵害されたり、従来の「異性婚」を基盤とする社会制度が致命的な打撃をこうむるということはない。同性パートナー条例に反対するのは要するに、「心理的に不愉快」だから、「LGBT は、いつまでも日陰者でいるべきだ」と言っているに過ぎない。

「異性婚による伝統的な社会基盤が脅かされる」という主張も、あまり説得力はない。日本は実は伝統的に、同性愛に寛容な文化をもってきたのである。前近代的な価値観ではあまりにもフツーのことだったからこそ、近代的な法制度の整備において、表立ってそれを組み込むことがなかったのである。

私としては、「日陰者でいることに甘んじることをよしとしない LGBT は、社会的に認められるべきだろう」という考えである。あえてカミングアウトすることを好まない人もいるだろうから、それはそれでいいが、きちんと社会的に認めてもらいたいという人に関しては、認めないという理由はないと思うのである。

「自分は LGBT は嫌いだ」という人でも、それを認めることによってこうむる具体的な不利益があるとは、私はイメージしにくい。たとえあったとしても、LGBT であることを社会的に認めてもらえないことによる不利益に比べれば、微々たるものだろう。

同性パートナー条例に反対する人は、もし自分の息子や娘が LGBT で、「同性とカップルであることを、社会的にも認めてもらいたい」と言い出したら、どう反応するつもりなのだろう。自分の身内に限っては、そんなことは絶対にあり得ないと思っているのだとしたら、それは考えが足りないというべきだ。

 

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コメント

tak-shonaiさんごきげんよう~
おはようございます~
私はそういう意味では日本の国は昔から、
自由で面白いと思っています。
あの切られの与三郎の啖呵にもちゃんと《稚児あがり》なんて、言っていますしね。うふふ


投稿: 朱鷺子 | 2015年3月18日 07:36

>同性パートナー条例に反対するのは要するに、「心理的に不愉快」 だから、「LGBT は、いつまでも日陰者でいるべきだ」 と言っているに過ぎない。

実に的確なまとめ方だと思います(笑)

ニュージーランドで同性婚を認める法案(婚姻の定義に関する法律の改正)に賛成した有名な演説があります(この法案は可決されました)。

http://yournz.org/2013/04/18/maurice-williamson-on-marriage-bill-be-ye-not-afraid/

「この法案は、その影響を受ける人にとっては素晴らしいものですが、それ以外の人にとっては、何も変わらないのです(This bill is fantastic for the people it affects, but for the rest of us, life will go on.)」

ま、渋谷区の条例は結婚云々以前のレベルですけど。

投稿: 山辺響 | 2015年3月18日 15:53

朱鷺子 さん:

本当に、日本は実はこうしたことにかけては自然に自由な文化を持っているんですよね。

こんなにもゲイのタレントがフツーにゲイとしてテレビに登場する国は、他にないと思います。

投稿: tak | 2015年3月18日 16:26

山辺響 さん:

私の苦手なアクセントなので、ちゃんと聞き取れるかなあと思いながら見ていたら、なんだ、下にテキストが表示されているじゃないですか。

それにしても、ユーモアの効いたいい演説ですね。

日本の国会で同じような演説をしたら、「不真面目」呼ばわりされるかもしれないと思いました。日本の国会議員も、もっとエロキューションを磨いてもらいたいものです。

投稿: tak | 2015年3月18日 16:31

tak-shonaiさんごきげんよう~おはようございます~
私、まちがっていました。切られの与三郎でなく、
弁天小僧~菊のすけでしたね~。失礼いたしました。
まあ、私が言っている内容は同じですけれど、、、ごめんなさいね。

投稿: 朱鷺子 | 2015年3月19日 08:58

朱鷺子 さん:

あれ、本当だ。
無意識のうちに 「弁天小僧」と翻訳(?)して読んでいて、何の違和感も感じませんでした ^^;)

投稿: tak | 2015年3月19日 11:35

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