「八紘一宇」 を巡る冒険
にわかに脚光を浴びている「八紘一宇」という言葉だが、それに関連して九州の宮崎にある「八紘一宇の塔」というのまで話題になっている。実は私は、この塔を見に行ったことがある。8年前の 6月、宮崎市に出張した折に、話の種にもなるから、是非見ておいた方がいいと薦められ、この塔の建てられている平和台公園というところを訪ねたのだ。
話の種ということだったが、あれからずっとそんなきっかけもなく、記憶の片隅に眠っていたのだが、例の三原じゅん子議員の唐突な「八紘一宇発言」に誘われるように、8年の眠りから覚めてしまった。ネタというのはじっと寝かせておけば、いつかは使えることもあるものである。
左上の写真が、その時に撮った写真である。この日は晴れ男の私としては珍しく、あまり天気がよろしくなく、時折小糠雨が降ったりしていたが、平和台公園に行った時は雨が上がって、傘をさすこともなくゆっくりと見物できた。
右の写真は、その壮大さを強調するためにアップで撮ったものだ。「八紘一宇」という文字がはっきりとわかるだろう。昭和15年に、皇紀 2600年を祝して宮崎神宮の拡大整備を行い、その一環として、当時の宮崎県知事の肝いりで「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を建造したのだという。
この塔をデザインしたのは大分県出身の彫刻家、日名子実三で、「報酬は一銭もいらないから、是非やらせてくれ」と願い出て実現したと伝えられている。日名子実三という人は日本サッカー協会(当時・大日本蹴球協会)のシンボルマークもデザインしており、このモチーフが、神武東征の道案内をした八咫烏というのだから、その愛国者ぶりがうかがわれる。
で、この塔を見物した感想だが、これまでとくに話の種にすることもなく 8年近くも寝かせっぱなしだったことでもわかってもらえるように、個人的にはそれほど感動しなかったのである。四方に「荒御魂(あらみたま)」「和御魂(にぎみたま)」「幸御魂(さちみたま)」「奇御魂(くしみたま)」の四神像が配置され、なかなか荘厳なものではあるのだが、「造るの、大変だったろうな」と思っただけだった。
私は伝統的保守派を自認していて、「八紘一宇」という言葉にしても、ステロタイプな悪イメージはもっていない。「六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや」という理念は、実はニュートラルなものであって、それが侵略的なイメージになってしまったのは、戦前の軍部が勝手な政治利用をしたためだと思っている。言葉そのものに罪はない。
とはいえ、私としては是が非でも「八紘一宇」という言葉の復権を成し遂げなければならないと意気込むほどの義理があるわけではなく、三原じゅん子議員だってそれは同様だと思う。何で急に思い出したように国会の場で言い出したのか、伝統的保守派にしては妙にリベラルな私としては、彼女の気が知れない。
この記事を「経済・政治・国際」ではなく「比較文化・フォークロア」というカテゴリーに入れておくということで、私のコンセプトを端的に示しておこうと思う。
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