遺伝子治療について思うこと
最近「遺伝子治療」というのがやたら話題になっている。遺伝子的欠陥を、人工的に修復・修正する治療法だという。例えば、DNA の異常な部分に正常な DNA を組み込んでやって、問題を解決してしまうというような手法らしい。これを応用すれば、患者の幹細胞を取り出して修復を重ねることで、不老不死になることも可能と言われている。
こんなようなニュースが流れる度に、大方の反応は好意的であるように思われる。病気が治り、長生きできるようになるのは、ほとんど無条件に「いいこと」と思われているようなのだ。そしてこのような分野の研究で成果を出すのは、人類に「貢献」していると見なされるようなのである。
しかし私はこんなような話を聞く度に、「みんな、どうしてそんなにしてまで長生きしたいかなあ」と不思議に思う。遺伝子治療なんて、かなり高額な治療になってしまうだろうに、べらぼうなコストをかけてまで長生きしたくなるほど、自分の人生に価値があるとでも思っているのだろうか。
前にも書いたことがあるが、人間に限らずすべての生物の遺伝子というのは、基本的には「生まれて生きて、子孫を残して死ぬ」ようにプログラムされているのだ。この部分まで立ち入って「生まれて生きて、子孫はどうでもよくて、自分はいつまでも死なない」というように変えてしまったら、ハードウェアとしての肉体は部品交換しながら永続できても、ソフトウェアとしての「心」の方が絶えきれないだろうと思う。
肉体の永続性に、無理矢理にでも心を追従させようとするなら、究極的に「どんくさい心」にしなければ無理だろう。というのは、心というのはどんなに楽しい刺激に対しても、そのうち飽きて退屈するようになってしまうからだ。退屈を避けるために常に新しい刺激を追い求め続ける人生というのも、相当にしんどいだろう。それだけで、生きていくのが辛くなりそうだ。
辛くならないためには、究極的にどんくさくならなければならない。しかし単に生き続けるためにどんくさくなるのは、私なら真っ平ごめんである。ただひたすら無感動にメシ食ってウンコして寝るだけの人生を、誰が求めるだろうか。
私は外部的に遺伝子治療をするよりも、もっとずっと安上がりで楽しい方法を採用したいと思う。その方法というのは、最近一部で話題になっている「遺伝子のスイッチをオン・オフする」ということだ。
どうやら遺伝子、つまり DNA というのはスイッチをもっているらしい。人間の遺伝子はすべて都合がいいものというわけでもなく、中には都合の悪い遺伝子もある。悪い遺伝子を全然持っていないという人はいないらしい。しかし悪い遺伝子をもっていても、そのスイッチをオフにし、いい遺伝子をオンにすることで、健康な人生を送ることができるらしい。
そんなことを言うと、まるでノー天気な夢物語のように聞こえるかもしれないが、現代の生命科学はどうもそれが正しいと証明する方向に進んでいるようなのだ。「遺伝子/スイッチ/オン/オフ」というキーワードでググってみると、まんざらおとぎ話でもない話がどんどん検索される。
筑波大学名誉教授の村上和雄氏によると、人間のいい遺伝子のスイッチは、喜び、感謝、笑いなど、プラスの想念によって「オン」になるという。彼が糖尿病の患者に漫才を聞かせて実験したところ、さんざん笑った後には血糖値が下がっていたという。今では 「笑いは健康にいい」 というのが医学的にも常識になりつつある。
喜んで、感謝して、笑っていれば健康でいられる確率が高いというのは、福音である。この他にも、「他のために尽くす」という行為も健康にいいらしい。そうした人生を送ってさえいれば、別に遺伝子を組み換えたりしなくても、まあまあ健康でいられるらしい。体が健康であるだけでなく、心も楽しいのだから、こんないいことはない。
そしていかに喜び、感謝し、笑っていても、肉体の耐用年数には限界があるだろうから、その時が来たらあっさりと死ねばいいのである。それでも死にたくないなんて思うから、ストレスになる。「死ぬ時はあっさり死のう」と覚悟を決めれば、人生の悩みの大方は解決する。
私なんぞも還暦を過ぎちゃったから、「大体あと 20年ぐらいの人生かな」なんて思っている。そのくらい生きさえすれば、満足もいいところだ。もっと短くても別に構わないが、この健康さでは急に死ぬようなこともなさそうだ。下手するとあと 40年ぐらい生きてしまう可能性だってなくはない。そうなったらそうなったで、何とか楽しく生きてみようと思うばかりである。
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コメント
tak-shonaiさんごきげんよう~おはようございます~
tak-shonaiさんのようにお健やかな男性なら
そう思われるのも最もなことです。いたずらに寿命が延びてもねぇ。
でもね、世の中には、まだまだ若いのに、毎日(痛い痛い痛い痛い痛いよおぉぉ痛いよぉ)とか(苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい=)とか、ずっと水の中で溺れているような苦しみに耐えながら生きていらっしゃる人たくさんいるでしょう。
何とかして楽にしてあげたいと私は切に思います。
ですから、何が何でも医学の発展を希望します。
73才の私自身は、トイレにひとりで行けなくなったら
どうか、尊厳死をさせていただきたいと内心は希望していますが。
投稿: 朱鷺子 | 2015年3月 5日 08:23
tokiko さん:
私は死なないための遺伝子治療に疑問を呈していますが、苦痛を取り除いたり、目が見えるようになったりするための遺伝子治療は否定しません。他に代替治療法がない場合は、使ってもいいと思います。ただし、慎重に。
私が密かに恐れているのは、先天的な要因による盲目の子どもをもった親が、経済的理由で遺伝子治療を受けさせられず、子どもの目が見えるようにさせてあげられない場合など、親が自分を責め、子どもが親を恨むという状況にならないかということです。
そうした事態を避けるためには、遺伝子治療にも医療保険を効かせなければなりませんが、そうなると今の保険料ではシステムを維持できないでしょう。
遺伝子治療用に別枠の保険を想定するにも、そうした保険を必要とするのは、その治療を必要とする人だけですから、保険自体が維持できません。
そこまで考えると、ものすごく難しい話だと思うのです。
投稿: tak | 2015年3月 5日 17:19
tak-shonaiさんごきげんよう~おはようございます~
そうですね!
私もtak-shonaiさんのお返事は予想していましたよ。うふ
ありがとうございました。
投稿: 朱鷺子 | 2015年3月 6日 08:00
tokiko さん:
予想の範囲でありましたか。
嬉しいような、悲しいような ^^;)
投稿: tak | 2015年3月 6日 16:01