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2015年4月21日

アピール下手の茨城県

私は茨城県に住んでもう 35年近くになろうとしていて、故郷の山形県(18年)、大学時代から暮らし始めた東京都(10年) よりもずっと長くなってしまった。

35年も住めば少しは馴染んでしまったところもあるが、茨城ネイティブではないので、まだまだ「茨城人」 にはなりきっていない。だから、「地域ブランド調査」とやらで毎年最下位が指定席となっている件についても、「そうだろうなあ」と、まったく冷静でいられる。

この「地域ブランド調査」というのは、民間調査会社のブランド総合研究所というところがこの 6年間継続しているもので、茨城県は 2012年の 46位(つまりビリから 2番目)を除いて、ずっと最下位の座をキープしている。つまり、日本一ブランド力の低い県であると烙印を押されたわけだ。

これに危機感を覚えた茨城県庁は、茨城県といえば「ヤンキー」が連想されるのを逆手にとって、茨城県出身の芸能人が「なめんなよ」とスゴむという企画の観光キャンペーンを開始したが、これに対して茨城県議会が猛反発したらしい。「けんか腰だ」「誰に『なめんなよ』と言っているのか」「ますますイメージが悪くなる」「国語として成り立つ言葉なのか」などと、低レベルのツッコミを連発したというのでる。

それで茨城県庁としては、PR の手法に四苦八苦していて、今年の春のキャンペーンは、「見どころがいっぱいの茨城に来てください」という面白くも何ともないキャッチフレーズになってしまった(参照)。本当に茨城というところは、外へのアピールが下手だなあ。

茨城に引っ越してきてからずっと感じていることだが、茨城県のネイティブは、狭い身内の中で大将になりたがる。総檜造りのご大層な家を建て、黒塗りのベンツでホームセンターやスーパー銭湯に乗り付けるのが大好きだ。そして周りから「大将、さすが、たいしたもんだねえ!」と言われることに無上の幸せを感じているようなところがある。

古くは平将門が、中央に対抗して「平新皇」を名乗り、「大将」になりたがった。ずっと時代を下っては「尊皇攘夷」の急先鋒になって、開国路線を展開した井伊直弼を暗殺したりもした。そんな風に、結構「俺が、俺が」という意識が強いのだが、いかんせん、それがすべて内向きで、外向きのベクトルがとても弱い。

だから、群馬、栃木、茨城の北関東 3県の中でも、抜群に要領が悪い。肩肘張ってふんぞり返りたがる割に、いつも一番損をする役どころになっている。

それは多分、茨城が昔から北関東の「どん詰まり」であることによるものだと、私は近頃思うようになった。同じ北関東でも、群馬は中山道、栃木は奥州街道の、重要な中継地となっている。それに対して茨城は、水戸街道でほとんど完結してしまっていて、そこから先への主要ルートというのを形成してこなかった。

他との交わりが少ないから、どうしてもアピールが内向きになり、外に向かってどう振る舞えばいいのか、学んだことがない。関東と信州や奥州を結ぶうちに、どう振る舞えば得になるかを曲がりなりにも学んだ群馬や栃木と違い、茨城はどう振る舞えばダサダサに思われるかに無頓着なまま、今日まで来てしまった。そして他からはダサダサに見えてしまうような要素こそが大好きという、損な県民性を獲得してしまった。

だから観光キャンペーンでも、唯一のアイデンティティの表現につながる「なめんなよ」を放棄してしまうと、後はどうしたらいいかわからず、結局は何もアピールしない、どうでもいいポスターに落ち着いてしまったというわけだ。

 

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