表現の自由を守るための、命のやり取り
ロイターが「イスラム預言者風刺画展で銃撃、米テキサス警察が容疑者を射殺」というニュースを伝えている。
米テキサス州ダラス近郊で 3日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画展示会の会場近くで銃撃事件があり、警備員 1人が負傷した。容疑者の男 2人は警官に射殺された。
(中略)
展示会の主催団体は、展示会の目的として、表現の自由を促進するため、としている。今年1月には、ムハンマドを題材とする風刺画を掲載した仏週刊紙シャルリエブドの本社が襲撃される事件が起きている。
この問題、私は今年初めにも 2本の記事を書いている(参照 1、参照 2)が、要するに、他人が嫌がることをして、「表現の自由」もないもんだということである。私は 1月 11日の記事で、次のように書いている。
風刺やパロディが単純に 「報道の自由の範疇」 と思っているのは、ある意味、西欧的傲慢である。喩えは悪いかもしれないが、すれっからしの大人が妙に一本気な子どもをブラックジョークで挑発しても、それは洒落にならないのだ。
私は健康オタクを皮肉って、「健康のためなら命も惜しくない」といわんばかりじゃないかと言うことがあるが、これは「表現の自由のためなら命も惜しくない」といわんばかりである。「イスラム教預言者風刺画展」なんていう、別にしなくてもいい企画を実行したために、人の命のやりとりになってしまうなんていうのは、私には愚かすぎるように思われる。
ちょっと話はずれるが、「喫煙者の権利」を主張して非喫煙者の迷惑と受動喫煙のリスクを顧みない人たちについても、私は同じような違和感を覚えるのである。私は非喫煙者として「喫煙者の権利」を否定しないが、非喫煙者の「嫌いな煙と臭いに悩まされない権利」を尊重して行使してもらいたいと願うのである。
それにしても気の毒なのは、この襲撃事件で負傷した警備員である。この警備員は別に、自分の命を捧げてまで主催者の目的に賛同していたわけではあるまい。仕事だからしょうがなくそこにいただけだろう。そこに乗り付けたテロリストに撃たれたというのだから、まったくの災難というものだ。死ななくてすんだのは、不幸中の幸いである。
こうした展示会をどうしても主催したいなら、警備は自分たちで行い、来場者には防弾チョッキを無償で貸し出すぐらいの方策を講じてもらいたいものである。
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コメント
こういった展示会などは、メディアに取り上げられることを目的としていることが多いのではないでしょうか。近隣の一般市民に訴えるということよりも、メディアで取り上げてくれる方が全国ネット級ですので、主催者としてはありがたいのです。
つまり、かなり極端な思想などの宣伝は、死者がでるような事件になってくれたほうが都合がいいのです。宣伝効果は計りしれません。
自殺などの過激な事件にたいするメディア報道は、かつてアメリカ国内で反省することがありました。メディアが報道することで、自殺(の推奨)を宣伝することに加担したわけです。その結果、自殺などの報道はニュースで取り上げないことになっているはずです。
風刺画展の主催者は、さぞやほくそえんでいることでしょう。メディアはうまく使われたのですね。
投稿: えり | 2015年5月 4日 22:47
えり さん:
とはいえ、今さら 「表現の自由」のプロパガンダをすると言ってもねえ……
投稿: tak | 2015年5月 5日 01:11