越中富山の薬売り
昨日まで富山に出張したついでに、富山市の「民俗民芸村」を訪ねた。富山市の中心からみて西にある呉羽山の斜面に造られた施設で、富山の民俗・民芸がいくつかの伝統的建築の博物館で展示されている。こういうの、大好きなので、私は 4時間かけてじっくり見物した。
「民俗資料館」という建物は旧山田村にあった民家を移築したもので、昭和の半ばまで実際に使われていた生活用具、農機具などがぎっしりと展示されている。眺めていると、「あ、これ、懐かしいなあ」なんて思えるものもかなりあって、自分も結構年をとったのだと実感してしまった。
何しろ東北の陸の孤島みたいなところに生まれて、半世紀プラス一回り生きてしまったのだから、ずいぶん昔の生活を体験している。先月 5日の記事でも書いたように、私は都会生まれの団塊の世代なんかより、ずっと古い時代の日本を知っている。
この民俗民芸村の中では、さすがに富山だけあって 「売薬資料館」という施設の展示がおもしろかった。子供の頃は年に何度か「富山の薬売り」のおじさんが訪問してきて、置き薬の補充と、使った分の精算なんかをしていた。死んだ祖母はこのシステムと薬売りの人を一緒くたにして「イッチョトヤマ」と言っていた。「越中富山」の庄内訛りである。
薬売りのオジサンは、訪問する家庭の子供のために、いろいろなサービス・グッズを持ってきてくれた。その中でも紙風船は定番中の定番で、これをもらうと 2〜3日は遊んでいられた。
「売薬資料館」では来場記念にこの紙風船をくれたので、嬉しくなってしまった。知らない人のために、写真を載せておこう。ぺたんこに畳まれた風船の真ん中の穴から空気を吹き込むと、立方体の風船になる。畳めばぺたんこになって運ぶのにスペースをとらないというところが、行李で薬を売り歩くには便利だったんだろう。
この富山の薬売りの紙風船を知っているのは、結構な年配である。今は富山の薬売りの数も激減してしまって、置き薬を置いている家庭は少ないが、私の父は死ぬまで富山の風邪薬なんかを重宝して飲んでいたようだ。何しろ医者嫌いだから、置き薬は便利なのである。
今は街のドラッグストアが全盛だが、今後高齢化が進んだら、向こうから常備薬を持ってきてくれて、使った分だけ後払いすればいいというシステムは、見直されてもいいと思うがなあ。
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コメント
あっしゃ~五十代で、生まれも育ちも江戸(のはしっこ)でげすが、この紙風船(この言葉も郷愁を誘いますな)で遊んだでげすよ!
てことはあっしんちにも薬売りのおじ…お兄さんが来てたってことですな。
しかしこの紙風船てえやつ、ローコストでいながら六面も広告を入れられ、子どもから高齢者まで商品を知らしめることができる、かなりの優れものじゃないでげすかね!
投稿: 萩原下衆兵衛 | 2015年6月 3日 08:00
萩原下衆兵衛 さん:
資料館の展示パネルによると、富山の薬売りは九州の果てまでカバーして、全国制覇していたようですよ。
それぞれにが自分の商圏(というのかな?) をもっていて、しっかり組織されていたようです。東京、とくに下町はおいしい市場だったと思いますよ。単位面積当たりの人口が多くて、移動も楽だし。
投稿: tak | 2015年6月 3日 10:44
今の「イッチョトヤマ」の方は、お子ちゃま用にゴム風船をお手持ちです。
数日前に来られた方も、ちゃんと風船を持っておられました。
子供の頃は、目の前でいくつか膨らませたものをもらいましたが、ただ、おいちゃん、おタバコを飲まれる方で、ゴム以外の臭いがプンプンでした…。
投稿: 乙痴庵 | 2015年6月 3日 15:21
乙痴庵 さん:
へえ、今はゴム風船ですか?
それにしても、薬と風船の関係って、どこから来たんでしょうね。
投稿: tak | 2015年6月 3日 15:46