広告を出さなければマスコミの 「懲らしめ」 になるか?
"「経団連に働きかけ、マスコミ懲らしめを」 自民党勉強会" という馬鹿馬鹿しい話が、ヒステリックなまでに話題になっている。こんなヨタ話にマスコミはマジになったり、ムキになったりし、それに煽られて日本中が騒いでいる。
そもそもいくら経団連に働きかけたところで、企業が広告を出さなくなるわけがない。まず第一義的には、企業は自社のために広告を出しているのであって、マスコミのために出しているわけではない。それを「出すな」というのは、マスコミの言論統制以前に、自由な企業活動の妨害である。
もっと言えば、企業が広告を出すのが「自社のため」というのも、いろいろな意味合いがあり、真っ正直に商品を売るための広告もあるが、それだけではない。第二義的には、広告を出す企業とマスコミは、「相身互い」なのだ。マスコミは広告費をもらって収入とし、その広告を出した企業にとっては、不利益な報道をされないための保険をかけているという側面がある。
だから景気が悪くなると企業は広告費を削るのだが、まったくゼロにはできない。いきなり広告をしなくなってしまったら、何を書かれるか知れたものではない。清廉潔白な企業なんてないのだから、どこをどう突かれてしまうか不安になる。企業がマスコミに広告を出すのは、「運命共同体だから、仲良くしようね」というアピールでもあるのだ。
という事情からか、今回の馬鹿話に関しては、マスコミはここぞとばかりにヒステリックに騒ぐが、経団連はただ静観するのみである。こんなアホらしいことに反応して何かを言い出すほどには、企業は焼きが回っていない。
もし仮に企業が広告を出さないなんてことにしてしまったら、小規模でアナーキーなジャーナリズムばかりになってしまい、もろにセンセーショナルな記事だけで売ろうとするようになる。これではまるでネットの世界みたいであり、コントロールが効かなくなる。逆効果だ。広告費は「ジャーナリズムの飼い慣らし費」でもあるのだ。
もし何だったら、自民党ももっと広告費を使ってマスコミを飼い慣らすがいい。
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