「遊びの辛さ」 って意味じゃなかった
沖縄の島唄に『豊節』というのがあって、その中でリフレインのように 「あそびぬちゅらさ/にんじゅぬすなわい」という歌詞が繰り返される。沖縄では "o" の音が "u" に聞こえやすいことを知っているので、私はずっと 「遊びの辛さ/人情の備わり」 と言っているのだと思い込んでいた。島歌も、ずいぶん不条理を歌うのだなあと感じていたのである。
「遊びは楽しいようでもあるけれど、本当に遊びを突き詰めようとしたら、案外辛いものでもあることだよ。それに何て言ったって、人には人情ってものが備わっているしね」ってな感じの、ちょっとした機微を歌っているのだと思っていたのだ。
しかしそれは、まったく見当外れだと知ったのである。「ちゅらさ」というのは、前の NHK 連ドラでも知れ渡った「美(ちゅ)らさ」 であり、「美しい、みごと」という意味の言葉だったのである。これは今は NHK の連ドラや「美ら海水族館」の影響で「美ら」という表記が知れ渡ったが、元々は「清ら(きよら)」の変化なので、「清ら」の方がより語源に即した表記らしい。
で、さらに、「にんじゅのすなわい」の方も「人情の備わり」ではなく「人数の備わり」という意味なんだそうだ。なんだ、私ってば浅はかにも、歌の意味をまったくトンチンカンに受け取っていたわけか。
つまりこの歌詞は「遊びの美らさ(清らさ)/人数の備わり」ということであるらしい。ここでいう 「遊び」 とは、現代風の「飲む打つ買う」の放蕩的な遊びというよりも、日本古来の芸能の「田遊び」という言葉にも通じる気分が強いようなのだ。
「田遊び」は、春先の田植えの前に、その年の豊作を祈願して行う神事で、音曲・踊りの芸能を伴う。つまり芸能をもって神をもてなし、神と共に遊ぶのである。そのように、沖縄の「遊びの美らさ(清らさ)」も、神と共に遊ぶ芸能的な心持ちがあるようだ。
言うまでもなく、沖縄は三線という楽器が普及していて、踊りができて一人前というほどの土地柄である。歌舞音曲が盛んなので、結婚式の披露宴でも 100人や 200人、300人ぐらいの出席者は当たり前と聞く。皆で歌い、踊り、祝福し、楽しむのである。そうした「遊び」が、信心でもあるという心根が残っている。
つまり、人数が揃うと、「大勢で楽しむ」というだけでなく、そこにはいろいろな芸のある人も揃うので、より「遊び」の感興が高まるということのようなのだ。なるほど、こっちの方がストレートに深い。
| 固定リンク
「比較文化・フォークロア」カテゴリの記事
- 「アニメのように学校をサボる」ことの国際比較(2025.12.03)
- アンガーマネジメントに見る日米文化比較(2025.11.30)
- 小さな祠まで入れると、神社の数はコンビニの 5倍(2025.11.09)
- 「三隣亡(さんりんぼう)」を巡る冒険(2025.10.20)
- 銭湯の混浴がフツーだった江戸の庶民感覚の不思議(2025.06.08)







コメント
「辛さ」だと「ちらさ」かなぁ。「人情」は単に「なさき」(情け)という言葉を使ってしまうかも。
沖縄(本島)民謡の歌詞の意味は、このサイトが詳しいです。
http://taru.ti-da.net/
丁寧に逐語訳している感じなので、こなれた訳詞にはなっていないのですが、歌う側としては勉強になります。
ちなみに沖縄には琉球○○民謡協会の類がいくつもあってそれぞれにコンクールなどやっているのですが、新人賞の課題曲でこの「豊節」を採用しているところも複数あるはずです(私の所属している琉球民謡音楽協会もその一つです)。
投稿: 山辺響 | 2015年7月13日 17:26
山辺響 さん:
そうだ、ここには沖縄のプロがいたんだった。心強い!
>「辛さ」だと「ちらさ」かなぁ。「人情」は単に「なさき」(情け)という言葉を使ってしまうかも。
なぁるほど。
「たるーの島唄まじめな研究」は貴重なサイトですね。ありがたい。
『豊節』 はかなりのスタンダードなんですね。
それにしても民謡協会の類いが複数あるというのもすごいことですね。
投稿: tak | 2015年7月14日 02:09