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2015年8月29日

「思考停止礼賛」 に驚いた

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8月 25日付の毎日新聞、「勝間和代のクロストーク」という欄に掲載されている瀧波ユカリさんという方の 4コマ漫画がちょっと気になった (勝間和代氏の文章は、読んでない)。左にコピーしておいた画像をクリックすると、拡大表示される。

この漫画、近頃安保法制に関する議論で批判的に使われているらしい「思考停止」ということを擁護するという立場で描かれている。「思考進めりゃいいってもんじゃない」 というのが結論だ。

「そもそも思考って、どこまでも進むのが正しいあり方なのでしょうか?」と疑問を投げかけ、「『ここから先はゆずれない』ってとこで止めるものだろうし、その止めどころの指標になるのが法律だったり倫理感だったりすると思う」と、瀧波ユカリさんは主張する。

さらに彼女は、「だから『人の命に関わるから反対』『違憲だから反対』を思考停止と揶揄するのは、憲法や倫理を蹴ってまでする思考に価値があると言うようなものでは?」と、疑問を投げかけているのである。

「ここから先は譲れない」というところで、人は思考を止めて当然で、その止める理由が法律や倫理感であるというのは、一見するとちょっともっともらしい。しかし、もっともらしいからこそ、「ちょっと待てよ、それって、やっぱり変でしょ」と言わなければならない。

そもそも「ここから先は譲れない」というポイントを確定するのは、そこから先まで考えなければできないことのはずではないか。先まで考えてみて、「やっぱりこれはダメだな」と判断するからこそ、その前のポイントに立ち返り、「ここから先は譲れない」と主張する根拠となる。

法律や倫理感に沿って「ここから先は譲れない」というなら、トンデモな法律や倫理に縛られた国に生まれてしまった人が気の毒である。

「『人の命に関わるから反対』『違憲だから反対』を思考停止と揶揄するのは、憲法や倫理を蹴ってまでする思考に価値があると言うようなものでは?」と彼女は疑問を呈しているが、この際はっきり言ってしまおう。まさに、「憲法や倫理を蹴ってまでする思考」に、価値はあるのである。

憲法や倫理に縛られて停まってしまう思考の方に価値があるなんていう主張の方が、むしろ私には信じられない。それらを蹴り飛ばした思考をしてみた上で、やっぱり「蹴っちゃったらまずいな」と思えば蹴り飛ばす以前に立ち返ればいい。思考の中で仮定的に蹴ってみなければ、そこから先のことは判断できないではないか。

私自身は安倍内閣の進める「安保法案」には反対の立場なのだが、あまり大きな声でそれを言い出すと、こんな風な「思考停止して当然」という妙な考えの人と一緒にされかねないから、ちょっと不愉快なのである。それは今年 7月 6日の記事でも書いた通りだ。

 

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