PC が、ようやく「ありきたりの道具」になった
Nikkei Trendy の「Windows 10は使いたいですか?アンケート結果発表」という記事が興味深い。とくにおもしろいのは、「Windows 10 に限らず、OS のアップグレードに関するご意見がございましたらご記入ください」として設けた自由記入欄に記載されたコメントの抜粋だ。
ざっと目を通した印象では、Windows 10 にアップグレードするという回答者でも、喜んでというのは極めて少数派で、「Windows 8、8.1 が、あまりにも使いにくいから」とか「サポート期間を延長したいから」とかいう、「しょうがないから」的な回答が多い。
本音的なものでは、「OS をアップグレードするたびに大仕事になるので、面倒でたまらない」とか「OS を使いたいのではなく、アプリケーション・ソフトを使いたいのだから、互換性の問題が発生するアップグレードは、大迷惑」など、かなり否定的なコメントが目立つ。そもそも、「それまで慣れ親しんだユーザー・インターフェイスから、どうして離れなければならないのか」という疑問が勝っているようだ。
こうしたコメントを見ると、「PC はようやく、『ありきたりの道具』になったのだな」 と思う。ちょっと前までの PC は「ありきたり」というよりは、「ちょっと特別のモノ」という側面が強すぎたのだ。
私は 2006年 11月 29日に、「PC の時代は 2015年で終わり?」という記事を書いている。これは当時の『月間アスキー』の電車内吊り広告に載っていたキャッチ・コピーだ。私はこの時は、どんな形で PC が終わるのか明確にはわからなかったが、まさに 2015年となった今、 「なるほどね」と納得する。PC は輝かしい地位から降りて、「ありきたりの道具」になってしまったのだ。
この記事で私は、次のように書いている。
よく人から 「tak さんは パソコンが好きだからね」 なんて言われるが、「別に好きでも嫌いでもないんだけど」 と思ってしまう。パソコンを使わないと仕事にならないから、別段抵抗なく使っているだけだ。
毎日毎日、電気洗濯機で洗濯をしている家庭の主婦に、「電気洗濯機がお好きですねぇ」なんて言ったら、全くの的はずれなのと同じだ。
あれから 9年近く経ち、日常の仕事として PC を使い倒している私に向かって、「パソコンがお好きですね」なんて言う人は、ようやくいなくなった。家庭の主婦に、「洗濯機がお好きですね」なんて言う人がいないのと同じレベルに、やっとなったのだ。
いち早く OS をアップグレードして、人より早く新しい操作法に習熟し、得意になってビギナーに操作法を教えてあげることに喜びを感じるなんていうのは、今やカッコよくもなんともない。単なる「オタク」でしかなくなってしまったのだ。
洗濯機を買い換える度に操作法が一変してしまい、スイッチの切り方一つで悩んでしまうなんていうのでは、家事のストレスが溜まりすぎるだろう。デスクワークだって、それと同じことである。
で、「ありきたりの道具」になって、私は始めて「PC を使えない」という人がいるのも仕方がないと、抵抗なく認めることができるようになった。それは「洗濯機が使えない」というオヤジがいるのと同じことである。要するに「やりたくない」んだから、しょうがない。
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